文字の書体は時代精神、美感、技術の変化を反映し、新しいものが生まれてきた。ハングルの書体も他の文字と同様に、創製から6世紀にわたって時代の流れとともに様々な形に変化してきた。
『楚漢戦』坊刻本(完板本)朝鮮後期楚の項羽と漢の劉邦の戦いを描いた作者未詳の歴史小説『楚漢戦』の完板本。朝鮮後期に民間で発行された坊刻本は、作られた地域によってソウルの京板本、京幾道(キョンギド)安城(アンソン)の安城板本、全羅北道(チョンラブクト)全州(チョンジュ)の完板本に分けられる。完板本のハングル書体は、この小説にも見られるように、文字が大きくて形が整っている点が特徴だ。
ⓒ 国立ハングル博物館
人類が使っている文字は、ほとんどが物や自然の形をかたどって作られた。それに対してハングルは、見た目だけでは分からない抽象的で難しい概念を反映していると言えよう。文字の形も、点や水平線、垂直線など最も単純な記号で構成されている。子音の形は、発声器官の動きを基本にしている。濃音や激音など音の変化は、画(線)を加える拡張や文字の組み合わせで表す。こうした点が、ハングルの創製原理と使用法を解説した『訓民正音』(1446年公布)に「天地自然の音があれば、それに対応する文字がある」と記された理由だろう。
ハングルは創製当時、国の公式の文字として認められなかった。主に宮廷の女性や仏教界によって普及し、民間でもハングルを学ぶ人が徐々に増えていった。特に朝鮮末期には、ハングル小説が大流行し、身分や年齢に関係なく多くの人がハングルを読み書きできるようになった。そうした過程で、美しい造形美を感じさせる様々な書体が登場した。
初期の書体
書誌学者によると、世宗(セジョン、在位1418-1450)は太くて丸みのある漢文書体を好んだという。しかし、世宗が作ったハングルは極めて簡潔で、幾何学的な図形で構成されている。子音と母音が四角い枠いっぱいに広がった書体は、雄大な印象を与える。単純な線は断固さと愚直さを感じさせる。さらに、整った円形の子音字「仄」は、視覚的な軽快さを加えている。
しかし、これらの書体は、ハングル創製直後に作られた数冊の書物にだけ使われ、その後は見られなくなった。当時の筆記用具だった筆は、文字の線に変化をつけやすいが、反対に一定の太さで線を引くことは難しい。そうした点が、この雄大で愚直な書体を使わなくなった理由だろう。
AG訓民正音体。『訓民正音』に使われたハングルの書体と、その流れを汲む『釈譜詳節』の書体を基に、現在の横書きに合わせて作られた書体。AGタイポグラフィ研究所が2018年に発表した。
ⓒ AGタイポグラフィ研究所
漢字書体の影響
新しく作られたハングルは、その特性が反映された独自の様式ではなく、以前から身近にあった漢字の書風の影響を受けた。ハングルを漢字のように書いたわけだ。漢字の楷書体は、縦と横の線が真っすぐに伸び、文字全体が四角い枠を形作っている点が特徴だ。ハングルも同様に正方形を維持しつつ、文字の画数に合わせてそれぞれの密度で表現し、中央の重心が四方に伸びた線の均整をしっかり保っていた。
世宗の次男である世祖(セジョ、在位1455-1468)が在位10年目に書いた平昌上院寺・重創勧善文でも、そうした点が確認できる。また、朝鮮時代に王室の出来事や国の主な行事を詳細に記録した儀軌も、整った書体で端正に書かれている。国の公式の記録なので正確に記されているだけでなく、当時の優れた書家によって最も代表的な書体で書かれたと考えられる。正祖(チョンジョ、在位1776-1800)の時代に発行された『五倫行実図』は、人間関係の基本となる徳目が優れた人物について、その行いをまとめた書物だ。その文字も、中央に重心を置いて上下左右が対称に書かれており、柔らかく力強い印象を与える書体だ。
一方、文字の重心が中央にある楷書体の特徴を持ちながら、画のつながりがスピード感を生む行書体の特徴を持つ書体も存在する。もちろんハングルは漢字に比べて画数が少ないため、線の強弱のコントラストは少ないが、子音と母音が四角い枠の中で大きさと空間の均整を保って堅固で厳正な印象を与え、余裕と風情も漂う。孝宗(ヒョジョン、在位1649-1659)の字と16世紀に名筆として名を馳せた文人のヤン・サオン(楊士彦)の字は、漢字の行書のように自由で力強い。
『平昌上院寺・重創勧善文』筆写本、1464年上院寺を修築する際に、王師(王の先生)だった信眉(シンミ)和尚が、他の僧侶と共に書いた勧善文(布施を勧める文)と、第7代国王・世祖(セジョ)が修築のために物品を送った際に書いた御製(王の文)が一緒に筆写されている。漢文本と諺解本(ハングル本)の2巻があり、特にこの諺解本は、最古のハングル筆写本でもある。四角い枠の中で文字が左右対称に均整を保っており、力強い線が威厳を感じさせる。
ⓒ 月精寺聖宝博物館
第17代国王・孝宗(ヒョジョン)の三女の淑明(スンミョン)公主が国王と王后から受け取ったハングルの手紙66通に、淑明公主が書いた手紙1 通を加え、計67通をまとめた『淑明宸翰帖』(17世紀)から孝宗の直筆の手紙。漢字の行書体の特徴が見られるハングルの書体で、自由な筆致ながら力強く豪放な印象を与える。古体から宮体に移る過渡期の17世紀における代表的な筆跡である。
ⓒ 国立清州博物館
宮体
ハングルが本格的に使われるようになると、ようやく独自の造形が現れ始めた。書簡に使われたため「書簡体」とも呼ばれ、宮廷の女性が使っていたので「宮体」とも呼ばれる文字は、朝鮮後期に形が整い、現在まで受け継がれてきた。宮体は、正字で書くと端正だが、草書風の崩し字で書くと流麗で時には華やかでもある。母音字が物理的な文字の連なりの流れを作り、それを基準にしてパッチム(終声、子音と母音の下に書く子音)が文字の幅を決めると、書き並べた際、高くあるいは低く帯のようにつながっていく。それは、ローマ字フォントの下線と高さを表すベース・ラインとエックス・ハイトのような役割を果たす。
『女四書』筆写本、19世紀(推定文臣のイ・ドクス(李徳寿)が、第21代国王・英祖(ヨンジョ)に命じられてハングルに翻訳した中国の『女四書』を宮体の正字で書き写したもの(筆写者不明)。宮体は、字の中心が右側にあり、同じ子音でも母音によって形が変わるという特徴がある。この文字は、そのような特徴がよく表れており、子音と母音が均整を保って端正な印象を与える。
© 国立ハングル博物館
王室の女性の下で筆写を担った書写尚宮は、公文書だけでなく王族の手紙の代筆もした。この文字は、第24代国王・憲宗(ホンジョン)の母の神貞(シンジョン)王后(1808−1890)の女官だった書記李氏が、宮体を崩し字で書いたもの。線の太さと比例が多彩で力強く、名筆とされている。
ⓒ 国立中央博物館
坊刻本の書体
ハングル書体のうち、宮体は宮廷で発展したが、坊刻体は民間で発達した。朝鮮時代後期にハングルで書かれた小説が大流行し、民間の出版業者が書物を大量に印刷・流通した。このように、筆で書き写す代わりに、板に彫って印刷・出版した民間の書物を坊刻本という。坊刻本の書体は、木版にハングルを素早く書いて彫ることで、文字の特徴が生まれる。国(朝廷)によって作られた書体のように端正ではないが、庶民的で素朴な魅力がある。
『洪吉童伝』 坊刻本(京板本) 朝鮮後期朝鮮中期の文人ホ・ギュン(許筠、1569-1618)による初のハングル小説『洪吉童伝』の京板本。主人公が腐敗した官吏を懲らしめて、理想の国を築く物語。京板本は、他の地域の坊刻本とは異なり、草書風の崩し字で小さく精巧な点が特徴だ。
ⓒ © 国立ハングル博物館
書体デザイナーのハ・ヒョンウォン(河馨媛)氏が、2017年に発表したデジタル書体のデョウン体。20世紀の初めに発行された英雄小説『デョウン(趙雄)伝』の坊刻本の書体を現代的に再解釈した書体。縦書き用に開発され、多少崩し字になっている。
© ハ・ヒョンウォン
現代の書体
1945年を起点に西洋の文化を受け入れ、ハングルの文章も縦書きから横書きに変わり始めた。その過程で、それまでなかった新しいハングルの造形が現れた。中でも代表的なものは、一定の四角い枠にとらわれない書体だ。そうした書体を横書きにすると、子供たちがリズムに合わせて天真爛漫に飛び跳ねているような軽快なリズム感を与える。
しかし、19世紀末の朝鮮の衰退と滅亡、そして1950-53年の朝鮮戦争以降、社会復興と経済発展に集中してきた1世紀の間、ハングルの造形は停滞期だった。まだ社会的にも経済的にも余裕がなかったため、多彩なハングル書体へのニーズは少なかった。だが1990年代以降、経済がある程度安定して、社会が多様性を求めるようになると、ハングルの書体にも著しい変化が現れ始めた。とはいえ振り返ってみると、当時は進んだ西洋の視覚文化を追いかけているだけだった。そして、それから10数年が経った今、新しい世代の自由な造形実験によって多彩な書体が登場している。例えば、古いハングルの書体を独創的に再解釈した書体などだ。ハングルの書体は、これからデジタル時代を迎えて、今までよりも広範かつ急速に進化していくだろう。
書誌学者によると、世宗(セジョン、在位1418-1450)は太くて丸みのある漢文書体を好んだという。しかし、世宗が作ったハングルは極めて簡潔で、幾何学的な図形で構成されている。
AGチェ・ジョンホ体 Std. 現代におけるハングル書体開発の先駆者と呼ばれるチェ・ジョンホ(崔正浩、1916-1988)氏が設計したプリ系列(筆押さえのある書体)で、同氏の最後のオリジナル基本デザイン。当時の一般的な書体と異なり、縦長の長体として設計された点が特徴で、筆押さえが大きく線の終わりが鋭いため、力強い印象を与える。本文用のハングル書体として、最も代表的で模範的だといわれている。
© AGタイポグラフィ研究所
310アン・サムヨル体グラフィックデザイナーのアン・サムヨル(安三烈)氏が、2011年に発表した書体で、横の線と縦の線のはっきりとした対比が特徴。見出し用の書体として開発され、大きく書くほど特徴が際立つ。2013年に東京TDC賞のタイプデザイン部門で受賞し、ハングル書体の新しい美学的な可能性を示したと評されている。
© アン・サムヨル
AGマノ2014グラフィックデザイナーのアン・サンス(安尚秀)氏が1985年に作ったアン・サンス体は、一定の四角い枠にとらわれない代表的な書体。その後、同氏はハングルの簡潔さを表現した3ボル式(入力方式の一つ)のモジュール書体の制作を多彩に行った。そうした過程で1993年に発表したマノ体は、線のモジュールからなる書体で、画数によって文字の面積が変わるという特徴がある。AGマノ体2014は、従来のマノ体を発展させたものだ。
ⓒ AGタイポグラフィ研究所
パラム体ハングルデザイナーのイ・ヨンジェ氏が、クラウドファンディングによって制作し、2014年に発表した書体。朝鮮王室の活字彫刻工だったパク・キョンソ(朴景緒)の1900年初の活字をディスプレー用に再解釈したもの。書体の構造は明朝体、点と線の表現は宮体に倣っている。見出し用の縦書き書体として開発され、歌手IU(アイユー)のアルバム『花しおり』に使われて、広く知られるようになった。
© L・ヨンジェ
パドゥンケル・サンスハングルデザインではあまり見らない果敢な試みで、印象に強く残る見出し用の書体。ドイツで活動する書体デザイナーのハム・ミンジュ(咸珉珠)氏が、1950年代に韓国で上映された海外映画のポスターのレタリングからインスピレーションを得て制作し、2018年に発表した。
© ハム・ミンジュ
シムシム体一定の四角い枠にとらわれない造形を実験するため、イ・ヨンジェ氏が2013年に制作した書体。画数によって文字の面積が拡張するという特徴がある。横書きにすると、軽快なリズム感が生まれる。
© L・ヨンジェ