韓国の市場は17世紀以降、商業の発達に伴って成長してきた。昔は特定の日に開かれる定期市が多かったが、近代化の中で現在のような常設の市場が一般的になった。短くは数十年、長くは数百年とそれぞれに歴史と特徴があり、今もにぎわう韓国の代表的な市場を紹介しよう。
チャガルチ市場。韓国最大級の水産市場で、各種魚介類や刺身などの料理が販売されている。中でも、コチュジャン(唐辛子味噌)で味付けしたヌタウナギの網焼き料理が有名。人気に後押しされ、全国の屋台で出されるようになった。
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市場はその昔、首都、役所のある町、地方など市の立つ場所によって違った名前で呼ばれていた。また、毎日買い物ができる常設市場と特定の日に開かれる定期市のような区別もあった。自給自足の生活ができた農耕社会では、需要が多くなかったので、常設市場よりも定期市の方が一般的だった。その定期市の中でも5日おきに開かれる五日場(オイルジャン、五日市)が最も多かった。
ほとんどの市場には取引品目に制限がなかったが、家畜、穀物、薪、薬材といった特定の品目だけを扱う特殊市場も発達した。その一例として、17世紀に始まった大邱(テグ)薬令市(ヤンニョンシ)は今も続いており、同地を代表する市場として全国的に知られている。
韓国に市場が初めて登場した時期は、はっきりしていない。高麗時代の歴史書『三国史記』(1145)には、新羅の第21代国王・炤知王(ソジワン、在位:479-500)の命により、490年に首都の慶州(キョンジュ)に常設市場が作られたと記されている。そのため、少なくとも当時あるいはそれ以前から市場が存在していたといえる。朝鮮時代(1392-1910)の初期には商業抑制策が取られたので、市場は発達しなかった。しかし17世紀に貨幣が全国的に流通すると、商工業が発展して市場も栄え始めた。実学者のソ・ユグ(徐有榘、1764-1845)が著した百科事典『林園経済志』によると、19世紀の初めには全国に1000以上の定期市があったという。
その後、近代化の中で常設市場が全国的に増えていった。1970年代末には国民所得の増加によって常設市場が700カ所を超え、定期市に取って代わった。小商工人市場振興公団が2022年に発表した「全国伝統市場現況」によると、現在およそ1400の常設市場と定期市があるという。韓国の昔ながらの市場は大型スーパーやネット通販によって競争力を失ったが、施設をリニューアルして時代に合った運営方法を導入するなど活路を模索している。
南大門市場
南大門市場。ソウル市の中心に位置し、1日平均30万人が訪れる。およそ1万店が密集し、販売品目は食品、雑貨、農水産物、園芸、工芸品など1700種に及ぶ。写真は、同市場のキッチン用品店
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ソウルの南倉洞(ナムチャンドン)にある南大門(ナムデムン)市場は、韓国を代表する市場だ。同市場は、15世紀の初めに朝廷が管理する市場として開設され、17世紀からは地方の商人が集まって乱廛(ナンジョン、無許可の商店)として発展した。朝鮮後期には漢陽(ハニャン、現ソウル)の三大市場の一つとなった。今でも南大門市場は、全国で最も規模が大きく取引も多い総合市場だ。キッチン用品、工芸品、食品、雑貨など日常生活に必要な物は何でも売られている。中でも子供服は、全国各地から買い付けにやってくるほどだ。また、外国人観光客の人気スポットとしても有名だ。
東大門市場
東大門市場。1990年代にドゥータモールやミリオレなど大型ショッピングモールが造られて現代的な街並みになり、2002年には文化体育観光部によって観光特区に指定された。1日の流動人口は100万人と推定される。
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一般的に鍾路5街(チョンノオガ)から清渓8街(チョンゲパルガ)まで約2㎞にわたる市場と複数のファッションビルをまとめて東大門(トンデムン)市場と呼んでいる。同市場は、18世紀に栄えたペオゲ市場が元になっている。無許可の乱廛だったペオゲ市場では当初、主に販売用に栽培された野菜が売られていた。朝鮮戦争の際に故郷の北朝鮮に戻れなくなった「失郷民」がこの一帯に定着し、救援物資で服を作って売るようになり、衣類市場が形成された。1960年代の初めに繊維・衣類を扱う平和(ピョンファ)市場が新築され、1970年には服地、アパレル副資材、アクセサリー、嫁入り道具などを販売する東大門市場が整備された。2002年には「東大門ファッションタウン観光特区」に指定され、昔ながらの市場と今風のショッピングセンターが共存するファッションの中心地になっている。
東廟ピョルク市場
東廟ピョルク市場。1980年代に形作られ、古着、骨董品、中古家具、古書などが売られている。写真はおもちゃを売る店で、古いフィギュアやゲーム機が多数並べられ、レトロを好む若者が訪れる。
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ソウルの崇仁洞(スンインドン)にある東関王廟(トングァンワンミョ)は、中国・三国時代の蜀の武将・関羽を祭る堂で、略して東廟(トンミョ)と呼ばれている。ピョルク市場(蚤の市)は東廟の塀に沿って開かれ、衣類、靴、骨董品など様々な中古品が売られている。昔は高齢の客が多かったが、最近は個性的なファッションを好む若者が訪れる人気スポットになっている。同地に市場ができたのは15~16世紀で、野菜を売る小さな市場があったと伝えられている。現在のような形になったは、1980年代だ。そして近くの黃鶴洞(ファンハクトン)ピョルク市場の店が、2000年代初めの清渓川(チョンゲチョン)復元工事によって居場所を失って東廟に移ったことで、規模がさらに大きくなった。
通仁市場
通仁市場。ソウル西村(ソチョン、景福宮の西側)に位置し、路地の両側に70ほどの店が立ち並んでいる。朝鮮時代の葉銭を模した硬貨で好きな食べ物を買うユニークなサービスが、若者にも人気だ。
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通仁(トンイン)市場は、ソウルの景福宮(キョンボックン)に程近い住宅街にあり、1940年代の初めに公設市場として作られた。朝鮮戦争以降、同地の人口が急増するにつれ、同公設市場の周辺に商店や露店が立ち並び、市場が形成されていった。通仁市場は「葉銭(ヨプチョン)弁当」で有名だ。朝鮮時代の葉銭を模した硬貨で好きなものを買って、弁当箱に詰めていく。また同市場の名物「キルム(油)トッポッキ」は、味付けしておいた餅を油で炒めたもので、醤油味と唐辛子入りの甘辛ソース味がある。
チャガルチ市場
チャガルチ市場は、韓国最大の海上物流都市・釜山(プサン)の南の海岸にあり、同地のランドマークだ。韓国最大級の水産市場で、活魚や干物をはじめ各種魚介類が販売されており、鮮度抜群の刺身店も軒を連ねている。同市場がいつ頃できたのかは正確に分からないが、かつて漁師が小さな船で取ってきた魚を砂利(韓国語でチャガル)の浜辺で売ったのが始まりだといわれている。チャガルチ市場は1920年代の初めに常設化され、1970年代に市場として正式に登録された。いつも活気あふれ、画家が好んで描いた場所でもある。
西門市場
大邱の西門市場。およそ4000の店があり、長らく織物(服地)の市場として有名だった。近年は、金土日曜日の午後7時から夜遅くまで開かれる夜市が大人気だ。
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慶尚北道(キョンサンブクト)大邱(テグ)の西門(ソムン)市場は朝鮮後期、平壌(ピョンヤン)、江景(カンギョン)と共に朝鮮半島の三大市場の一つだった。当初は月2回開かれる定期市だったが、1920年代に公設市場として常設化された。主に絹、綿、麻などの織物が取引され、韓国の繊維産業の発展を後押ししたと評価されている。近年では2016年に始まった夜市が有名だ。長さ350mの道に80ほどの屋台が並び、様々な食べ物や飲み物、商品が販売され、見ても食べても楽しさ満載だ。同名のウェブ小説を原作としたテレビドラマ『キム秘書はいったい、なぜ?』(2018)にも、この夜市が登場する。