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2023 SPRING

ローカリティーの源流、伝統工芸の名産地

工芸には、それぞれの地域の文化が凝縮されている。良質な素材の産地が工芸の拠点になり、歴史や文化といった地域のアイデンティティーが工芸品に投影されるからだ。近年、世界的にローカリティー(地域性)への関心が高まり、地域に根差した工芸が改めて注目されている。

『むしろ編み』 / キム・ホンド /(金弘道、1745-?)/ 28cm×23.9cm
紙本墨画淡彩
18世紀後半

幼い息子が文を読む声に合わせて、父親はむしろを編み、母親は糸車で糸を紡ぐ。朝鮮時代、工芸は生計のための日常的な労働だった。
© 国立中央博物館
『鍛冶屋』/ キム・ホンド / 27.9cm×24cm / 紙本墨画淡彩 / 18世紀後半
活気あふれる鍛冶屋の様子が描かれた作品。鉄を火で熱し、金床に載せて金槌で叩く。生活に必要な金属の道具を作る鍛冶屋は、今ではほとんど姿を消してしまったが、地方の小さな町に行くと昔ながらの市場でまれに見かけることがある。
© 国立中央博物館

19世紀初めに編纂された『閨閤叢書』は、生活情報をまとめた書籍だ。その中でも全国の名産品は当時の消費者の考え方が反映されているため、史料として価値が高い。著者の憑虚閣李氏が記録した名産地には、近代化によって途絶えてしまった所もあるが、今日まで名声を保っている所も多い。

工芸の伝統は、例外なく地域に根差している。日常生活の中で知恵を蓄積してきた共同体において、その根幹を成すのが地域であるからだ。生活に必要な物は手ずから作り、分け合って使う。そのようにして各自が腕を磨いてきた奮闘努力の時間こそ、工芸の歴史といえる。伝統的な社会では、たやすく得られる地元の素材で物を作ることが多かった。江華島(カンファド)の花紋席(ファムンソク、花ござ)、韓山(ハンサン)のモシ(カラムシ織)、潭陽(タミャン)の竹細工、統営(トンヨン)の螺鈿なども、その地域の豊かな素材を生かしたものだ。職人が作る名産品は、素材の主な産地と切っても切れない関係にある。そのため優れた工芸品は、素材が育つ地域と共に語られて名産品として認められる。

共同体の分業

『螺鈿 瓦胎 鳳凰唐草文花瓶』/ キム・ボンリョン /(金奉龍、1902-1994)/ 口径27cm 胴径27cm 高さ61cm/ 1930年代
1936年の朝鮮美術展覧会で入選した作品。陶器に漆を塗った螺鈿を瓦胎(ワテ)という。この作品は鳳凰、ムクゲ、蔓の文様で華やかに彩られている。統営(トンヨン)出身のキム・ボンリョンは、朝鮮時代の螺鈿工芸の伝統を飛躍的に発展させ、大胆な技法を駆使したことで知られている。1966年に韓国初の国家無形文化財・螺鈿匠となった。
© 原州歴史博物館

韓国の南海岸に位置する統営。同地のアワビは狭い海峡の荒波の中で育つため、貝殻が美しく鮮やかなことで知られている。このアワビの貝殻を加工した工芸品が螺鈿の漆器だ。統営の螺鈿は長く愛されてきた名実ともに名産品であり、変化の激しい時代を生き残ってきた代表的な工芸品でもある。それは、職人たちがその地域で長年にわたり支え合ってきた結果といえる。

統営は文禄・慶長の役(1592-1598)の際、水軍の本営が設けられた場所だ。その水軍を率いた指揮官が、亀甲船で有名なイ・スンシン(李舜臣、1545-1598)将軍。統営が工芸の名産地として有名になった背景には、そうした歴史がある。軍需品や日用品を調達するために腕の良い地元の職人で組織的に工房を運営したのは、その時が初めてだった。その後、工房が次第に増えて「統営12工房」という言葉も生まれた。工房が12カ所あるという意味ではなく、工房が多く工芸文化が発達しているという意味だ。

アワビの貝殻を薄く削って装飾を施す螺鈿匠(青貝師)は、木で器を作る小木匠(木地師)、漆を塗る漆匠(塗師)など他の職人の手を借りずには一人で漆器を完成することはできない。さらに、装錫(チャンソク)という金属の飾りを作る豆錫匠(金具師)も欠かせない。つまり螺鈿の漆器は、地元の職人が協力して生み出したものだ。統営では今でも螺鈿匠、小木匠、豆錫匠が家族のように集まって暮らしている。

「苧産八邑(チョサンパルプ)」とは、カラムシがよく育つ地域を指す言葉で、韓国でモシの生産量が最も多い忠清南道(チュンチョンナムド)舒川(ソチョン)にある八つの町を意味する。同様に洛東江(ナクトンガン)一帯の「席産八邑(ソクサンパルプ)」は、アシで織った敷物で有名な八つの町を指す言葉だ。このように名産地は職人の腕だけで成り立つものではない。地域全体が生産や流通の共同体として有機的に動いてこそ、名声を博すことができる。例えば、合竹扇(ハプチュクソン、扇子)を一つ作るのにも6~7の工房が緊密に連携する必要がある。竹で扇子の中骨を作り、親骨と組み合わせる。その骨に合わせて紙を折る。焼きごてで骨に絵や模様を描く(烙竹)。扇子の要に付ける扇錘(ソンチュ)という飾りを彫刻する。こうした工程を細分化するほど、作業の効率も完成度も上がる。

地理的なメリット

『螺鈿 双鳳文蓮葉形果盤』/ キム・ボンリョン / 40cm×40cm / 1945年以後
果盤とは果物用の器のこと。キム・ボンリョンは、統営と原州(ウォンジュ)に工芸所を設立し、多くの職人を育てたことでも有名だ。螺鈿工芸の二つの重要な素材のうち、貝殻は統営産が、漆は原州産が最も優れていると昔からいわれてきた。
© 原州歴史博物館

真鍮の器は寒い冬に重宝する。オンドル(床暖房)の焚き口の辺りに茶碗を置いて布団をかぶせておけば、数時間経っても素手で持てないほど熱いままだ。真鍮の器は金色で、代々受け継がれるほど寿命も長いため、大切にされた。18世紀には庶民に広く普及して、技術が全国に広がった。特に、京畿道(キョンギド)安城(アンソン)は、平安北道(ピョンアンブクト)定州(チョンジュ)の納清(ナプチョン)と共に鍮器(真鍮の器)の二大名産地だ。両地には、内陸部からソウルにつながる物流の要衝という共通点もある。

ソウルに近い安城は、かつて都に住む士大夫(名家)に真鍮の器を供給することで名声を築いてきた。安城の鍮器は、溶かした金属を鋳型に流し込む鋳物。「アンソンマッチュム(うってつけ)」という慣用句は、条件や状況にぴったりと当てはまるという意味だ。鋳物の鍮器は、滑らかな器を正確に数多く生産できるというメリットがある。このような言葉が生まれるほど、安城の鍮器は広く価値を認められた名産品だった。

それに対して納清は、3~4人が輪になって大小様々なハンマーを使い、金床の上で金属の塊を叩いて作るパンチャの鍮器だ。真っ赤に熱した金属の塊を扱うのは難しく工程も複雑なため、職人同士のつながりが深く自尊心も高かった。特に銅鑼や鉦などの楽器は、パンチャの技法でなければ良い音が出ない。そこで精巧な音が出るように、静かな真夜中に楽器を作ることも多かった。

一方、全羅北道(チョンラブクト)南原(ナムォン)は、智異山(チリサン)の麓の豊かな木材によって木工芸が発達した地域だ。同地では、木工ろくろを使って木材を削る。回転させながら削る木工ろくろは、需要の多い食器、祭器、イナムバク(米などを洗う木鉢)のように丸くて小さい器を作るのに最適だ。木工ろくろは朝鮮時代の風俗画にも描かれており、そうした絵画から伝統的な木の器作りを垣間見ることができる。南原では今も伝統的な木工ろくろの技法が受け継がれている。

このように名産品の産地では、優れた職人が腕を競い合って共に成長し、その名声に惹かれてきた若者によって地域の伝統が受け継がれてきた。そうした伝統によって、今日まで無形文化財が守り伝えられてきたわけだ。韓国では1962年に文化財保護法が制定され、無形文化遺産を保護するための政策も立てられるなど、ユネスコの無形文化遺産においても評価されている。

未来のための代案

工芸のローカリティー(地域性)は、現代では異なる意味を持つ。近代化以降、都市を中心に文化が発達したため、地方は衰退の一途をたどった。ローカリティーが近年、人文学において取り上げられているのは、地方消滅の危機が現実の問題になっているからだ。そうした中、工芸が地方の未来のために有効だとして改めて注目されている。これは韓国に限らず、世界中で見られる現象だ。若いクリエーターは地方の工芸からインスピレーションを得て、地方の職人は各自の知識や技術を再解釈して新たな活路を模索している。

熟練の技術に基づいた手工芸は、大量生産・大量消費社会がもたらした様々な問題を解決するための代案だと考えられている。若い世代が近年、どれも似通った商品やコンテンツではなく、その地方ならではの文化コンテンツに目を向けている点も、地方工芸の復興を後押しするだろう。職人の技とそれを育んだ各地の工芸文化が地域社会の活性化につながるよう、知恵を絞る時期にきている。

鍮器匠のキム・スヨン(金寿栄)とデザイナーのチョ・ギサン(趙基相)が、イェオル・プロジェクトでコラボレーションした様々な鍮器(真鍮の器)。安城(アンソン)の鍮器の伝統を受け継ぐ国家無形文化財・鍮器匠のキム・スヨンは、若いデザイナーとともに現代的な感覚の鍮器も制作している。
財団法人イェオル提供

履修者のキム・デソン(金大成)が2021年、国立無形遺産院の創意工房レジデンシーで制作した扇子。国家無形文化財「扇子匠」の父の跡を継ぎ、5代目として全州(チョンジュ)の伝統的な扇子を今に伝えている。履修者とは、無形文化財の制度的な伝承体系において審査で認められた職人のこと。

国立無形遺産院提供、写真:ソ・ホンガン(徐憲康)

2代目として統営ヌビ(キルティング)工芸を継いでいるパク・キョンヒ(朴耿嬉)による木綿の箱。今ではほとんど見られない統営ヌビの「亜」の字形の文様を用いて、伝統を守っている。

韓国工芸デザイン文化振興院提供

ワングル(カンエンガヤツリ)で生活に必要な物を作る莞草工芸は、江華島(カンファド)で特に発達した。写真は、莞草匠・履修者のホ・ソンジャ(許性子)がスタジオワードとのコラボレーションで制作した雁の箱

韓国工芸デザイン文化振興院提供

国家無形文化財「笠子匠」のチョン・チュンモ(鄭春模)が、スタジオワードとのコラボレーションで制作したペンダントライト。笠子匠はカッ(笠子帽)を作る職人で、主に統営と済州(チェジュ)で技術が伝えられてきた。

スタジオワード提供

チェ・ゴンホ崔公鎬、 工芸史家

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