この街には、半径2.5km内に160ほどの小劇場があり、年間2000本近い演劇、ミュージカル、舞踊などの公演が行われている。ここでは、常に1日約150の作品が観客を出迎えてくれる。韓国演劇市場の売上の8割がここで生み出され、韓国で活動する演劇人の7割がここを中心に創作活動を行っている。「University street」を意味する「大学路」という名で知られるソウルの文化・芸術の名所だ。
大学路の中心部の路地。観客が気軽に楽しめるロマンティック・コメディーを主に公演する大衆的な小劇場が増えている。そのため、社会性の高い演劇にこだわる小劇場が街の外れに追いやられ「オフ大学路」という言葉も生まれている。
週末になると歩行者天国や演劇・ミュージカルを見るため、あるいは街の雰囲気が好きで集まってくる多くの人で賑わう街。今では「韓国演劇のメッカ」として知られているが、大学路は最初から演劇のために計画的に作られた街ではない。日本統治下の京城帝国大学時代からここにあったソウル大学校の文理科と法科の2大学(学部に相当)が冠岳キャンパスに移ると、学校の建物は撤去された。1975年のことだ。しかし、長年キャンパスを守ってきた文理科大学本部の赤煉瓦の近代的な建物と3本のマロニエの木が、歴史的な象徴として残され、そこに公園が造られた。そのため、マロニエ公園と呼ばれるようになったのだ。
アルコ芸術劇場の野外舞台。大学路の若さと自由を象徴する代1 表的な空間
多くの舞台芸術祭が海外の舞台芸術家をこの街に呼び、互いの作品と芸術的見解が交流する場になっている。児童・青少年演劇フェスティバル、アシテジ・フェスティバル、ソウル国際公演芸術祭から大学路小劇場祭まで、それぞれ違った性格のフェスティバルがほぼ年中行われ、大学路をダイナミックな空間にしている。
大学路の形成
この公園を中心に赤煉瓦の建物が建てられた。その中の一つが、将来この街が韓国演劇の中心地に発展するための基盤となった文芸会館(現アルコ芸術劇場)で、1981年に開館した。80年代には、セムトパランセ劇場、マロニエ劇場が開館し、パタンゴル小劇場、東崇アートセンター、演友小劇場、大学路小劇場など、新村の学生街に集まっていた10ほどの小劇場が、高い賃貸料を避けてここに移転してきた。劇場だけでなく韓国文化芸術委員会、韓国演劇協会など主な文化芸術機関や団体も居を構えたことで、新たな文化スポットとして急浮上した。ちょうどそのころ、ソウル市内の小規模公演会場の設置・運営規定が緩和され、さらに多くの小劇場が次々に開館し、劇団のオフィスや各種文化施設がなだれ込んできた。大学路において最も重要なアイデンティティである「演劇の街」というイメージは、こうして作られたのだ。
ソウル市が1985年に大学路という名を公の場で使い始めたとき、その基本構想は、近代美術の発達を成し遂げたパリ・モンマルトル、日本のファッション・文化の発信地である東京・原宿、あるいはロンドン・ピカデリーサーカスのように、国際的な文化観光地にするというものだった。今日の大学路が世界各国の舞台芸術家に広く知られる演劇の名所になったことを考えると、政府の思惑は結果的に違った方向で大きな実を結んだといえよう。
大学路の塀や壁を埋め尽くすポスターは、何気なく大学路を行き交う恋人や観光客を劇場へと呼び込む。
その頃から大学路は、週末になると全面的に交通規制され、歩行者天国となった。ソウル市のそうした決定によって街の文化フェスティバルがさらに活発になり、韓国文化芸術委員会の建物前にある広場は各種展示会、民俗遊び、詩の朗読会、公演などが自由に行われる空間として活用されるようになった。演劇の街として知られる大学路に、フェスティバルの街、若者の街というイメージが加わったわけだ。また、象徴的な造形物、彫刻、公演ポスターの掲示板、チケットボックス、街灯、ベンチなど文化を楽しむための設備を整えることで、マロニエ公園を中心にした平日の野外公演が活性化され、大学路は公演のない日がない舞台芸術の街として確固たる地位を築いた
2016年の第12回アシテジ冬のフェスティバル(1/7~1/16)で舞台芸術賞を受賞した「劇団21」の家族ミュージカル『ファンタジー・オズの魔法使い』
多様化する観客
マロニエ公園の裏の路地と駱山公園の間にある梨花壁絵村は最近、路地の古い階段や壁が「公共美術プロジェクト」によってユニークな名所になり、若者や観光客にとって大学路の必須コースになっている。
以前の大学路は主に20~30代が集まる若者の街だったが、最近ここを訪れる人たちの年齢層が非常に多様化している。依然として若い観客が中心だが、子供連れの家族や中高年の夫婦も目に見えて増えている。これは、それほど見どころが多くなったという意味でもある。
一方、周辺の駱山公園や梨花壁絵村などを見て回るのが一般的だった観光客も、物珍しげに路地を歩き、公演を観覧している。近くの恵化洞ロータリーにあるカトリック教会の前で毎週日曜日に開かれているフィリピン・フリーマーケットも、大学路を特別な空間にした名所の一つだ。フィリピンから来た労働者が自国の食料品、雑貨、家電製品など多彩な品物を売ることで交流の場になり「リトル・マニラ」と呼ばれるようになった。このフリーマーケットは、すでに20年以上の歴史があり、たくさんの人々が訪れる一風変わったイベントになっている。
特に、最近は国際的な舞台芸術祭が年中行われ、世界各国から芸術家をこの街に呼び集めている。毎年1月になると大学路を活気づかせるのは、児童・青少年のためのアシテジ・フェスティバルだ。また、新進芸術家の新しい舞台であるニュー・ステージ、AYAF(Arko Young Art Frontier)を皮切りに、3月には新春文芸の一幕劇、日中韓3カ国が参加するアジア演出家展が開かれる。4~5月にはソウルの代表的な演劇祭であるソウル演劇祭が開かれ、7~8月のソウル辺方演劇祭、9月の大学路ストリート公演祭、10~11月のソウル国際公演芸術祭、大学路小劇場祭へと続く。このように多彩な性格と規模のフェスティバルが次々と開かれ、大学路をクリエイティブでダイナミックな空間にしている。大学路は、韓国文化芸術界の情熱とビジョンが読み取れる街だ。国内の公演市場の流れを感じることができ、政府の文化芸術政策の基調にも大きな影響を及ぼしている。そして、何よりも多くの若い演劇人や演劇を志す人たちが、今日もここで夢見て、時には挫折しながらも芸を磨いている。