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2022 SUMMER

脱北者の今日を記録する映画

2000年代初めから映画を撮り始めたユン・ジェホ(尹載皓)監督は、固定的な観念から抜け出し、今を生きる人物にスポットを当てようとした。彼が劇映画とドキュメンタリー作品を同時に制作している理由もそのためだ。

ユン・ジェホ監督は映画を通じて境界を生きる人々、その中でも脱北者の人生を撮り続けている。

ユン・ジェホ監督は2021年、1年だけの劇場公開作品『ファイター(邦題:北からの挑戦者)』とドキュメンタリー作品『ソン・ヘ(宋海)1927』の長編映画2本を公開した。『ファイター、北からの挑戦者』は、脱北者のための定着支援施設ハナウォンを退所したばかりの、ボクシングジムの清掃で生計を立てている女性ジナの物語だ。『宋海1927』には、今は北朝鮮の地となっている黄海道出身の歌手でKBSテレビの長寿番組『全国のど自慢』の司会者を長年務めたソン・へ(宋海、1927-2022)が登場する。

映画が見せるのは、私たちの知らない彼らの本音だ。ジナは健康な体と心で韓国に定着しようとボクシングステップを練習しはじめ、ソン・へは過去に息子を亡くした父としての姿をあるがままに見せている。


脱北者の暮らし
ユン監督は境界に立つ人々、その中でも脱北者の生活を見つめ続けて映画を撮ってきた。彼の映画は人物の内面から入り、淡々とその実態を映す。国内外の有数の映画祭でもこのような彼の映画が注目されている。別れた息子との再会に希望を抱いて生きる朝鮮族の女性の話を綴ったドキュメンタリー『約束』(2010)で、2011年の第9回アシアナ国際短編映画祭で大賞を受賞した。

その後、生計のために中国に渡った北朝鮮女性の人生を描いた長編ドキュメンタリー『マダム・べー(邦題:ある脱北ブローカーの告白)』(2016)で、第38回モスクワ国際映画祭のベストドキュメンタリー賞と第12回チューリッヒ映画祭の国際ドキュメンタリー賞を受賞した。この映画は、女優イ・ナヨン(李奈映)主演の、ユン・ジェホ監督の最初の長編劇場作品『ビューティフルデイズ』(2017)とも趣旨が一貫している。第23回釜山国際映画祭の開幕作として公開されたこの作品は、朝鮮族の大学生チェンチェンの目を通して描いた脱北者の母の話だ。その後も監督は、短編『ヒッチハイカー』(2016)で第69回カンヌ国際映画祭の監督週間に、『ファイター、北からの挑戦者』で第71回ベルリン国際映画祭ジュネレーション部門に招かれ、世界の映画人に分断国家で生きる人々の姿を紹介した。

留学生活
ユン監督が映画を通じて大衆と疎通をはじめたのは、フランス留学時代だった。住み慣れた町から飛び出したかった彼は20代初めに友人と共に韓国を離れた。20年も前のことなのに今もなお出国した日付をはっきり覚えているという。2001年9月12日、アメリカで9.11テロが起きた次の日だった。アメリカ行きの航空便がオールストップした空港で厳重な警戒をくぐり抜けヨーロッパ行きの飛行機に乗り込んだ。世界の混乱を肌で感じた彼が向かった先は、フランス北東部の小さな町ナンシーだった。そこで語学研修と旅行を並行しながら突然、芸術学校の試験を受けた。韓国で勉強していた美術の実力を発揮して実技試験を通過した彼は、計画になかった留学生となった。

「見知らぬところで一人で新しい生活をすることは怖かったものの、楽しかったです。自分のことだけを考えて生きることができた気がします」。

彼は芸術学校で絵以外にも様々な形態のビデオアート、設置作業などを学びながら視野を広げていった。他の国から来た留学生たちとの交流も彼に大きな影響を与えた。ユン監督を映画の世界に導いたのも、段ボール箱一杯の100本のDVDを貸してくれたベルギー人の友人だった。箱の中にはフランソワ・トリュフォー、ジャン・リュック=ゴダール、イングマール・ベルイマン、オーソン・ウェルズなど1950~1960年代のクラシック映画名作がいっぱい詰まっていた。殴りあいや破壊的な映画ばかり観てきた20代の青年が、知的で実験的な映画に接したのだ。

「100本を観ては、また観ました。理解するのは大変でしたが、それだけ魅力的でした」。何よりも彼は、映画は一人で作ることのできない作業だという点に魅了されたという。大勢の人々に話しかけてみたかった彼は、一緒に作業をする友人たちを集め、対話を始めた。

『マダム・べー(邦題:ある脱北ブローカーの告白)』は、生計のために中国に渡った北朝鮮女性の人生を追った長編ドキュメンタリーだ。
© cinesopa

朝鮮族の大学生チェンチェンの目を通してみた脱北者の母を描いた『ビューテイフルデイズ』は、ユン監督の最初の長編劇場作品だ。
© peppermint&company

『ファイター、北からの挑戦者』は、脱北者のための定着支援施設から退所した後、ボクシングジムの清掃で生活費を得ているジナの物語だ。
© indiestory

今の日常
2004年に友人たちと制作した最初の映画は、異邦人としてフランスで生きる韓国人女性が、アイデンティティーの混乱を体験する物語だ。彼の自伝的な質問が含まれている作品だった。「なぜここで暮らしているのか。なぜあそこではない、ここなのか」。幼い頃から自らに投げかけていた問いを映画に込めた。釜山からナンシーにやって来た青年は、自然に自分の映画にディアスポラ(民族離散)アイデンティティーを持った人物を登場させるようになる。脱北者の人生に関心を持つようになったのも自然なことだった。

ユン監督が境界に立つキャラクターを創造する場合に最も深く悩むことは、彼らの経過した時間だ。そこからここにやって来た人物がどんな過去を経験したのかを見極め、それがどのように現在の彼等を作っているのかを確かめる。

「私たちは今日を生きていますが、今日は結局昨日になります。今日をどう生きるかによって明日の自分が変わることができます。それで人物の過去の話は除外しようとし、未来にもこだわらないようにしています。ただ今だけ、彼らがどんな日常を過ごしているのかを見せたいんです。今日の自分が変われば、明日の自分は明らかに変わりますから。それが私の伝えたいメッセージです」。

この原則は彼が並行して制作している劇場公開作品とドキュメンタリー作品の両方に適用される。彼は『マダム・べー(ある脱北ブローカーの告白)』を撮った3年間、マダム・ベーの出入国経路に同行し、『宋海1927』の最初の撮影の日には、4時間以上ソン・へにインタビューをした。日常の瞬間を観察して得られる些細な感覚を映画に取り込もうとしているのだ。脱北者はどんなことを考えているのか。韓国で何を感じて生きているのか。監督と俳優たちは問いかけ、また問いかけた。自分がしてきた経験をつなぎ合わせてみたり、実際に北朝鮮を離れて来た人々に助けを求めたりもした。映画で避けようとしているのは、メデイアに出てくる千篇一律な脱北者のイメージだった。

映画『宋海1927』は、韓国最高齢の司会者としての姿ではなく、華やかなスポットライトの裏側に隠された宋海さんの人生を追っている。

答えよりも質問
ユン・ジェホ監督は観客に答えを与えるよりは質問を投げかける映画を作る。実際に明らかな結末を出すより人物の前に投げかけられた可能性に焦点をあてて幕を下ろす。『ビューティフルデイズ』に登場する母子の希望が現実になるのか、『ファイター、北からの挑戦者』のジナがボクシングの試合で勝利を得ることができるのか、観客に知らせることはない。ただ彼らが昨日とは違う明日を生きていけるかもしれないとささやく。そうして彼の映画の中の人物は境界の上で尊厳される存在となる。

「幸福の定義は個人個人によって違います。映画の中の人物たちに最大限開かれたラストを与えようとしています。そうすれば観客も脱北者が韓国でどのように幸福になれるのかについて悩み始めるのではないでしょうか」。

映画を見た実際の脱北者たちの反応はどうか。リアルな描写にきまりが悪かったという人、自分たちの声に耳を傾けてくれて嬉しかったという人。ずいぶん前に経験した時間をスクリーンを通じて再び見た彼らの意見は様々だった。人権団体の活動家たち、分断の現実を勉強する学生たち、それぞれの背景知識によって異なる視点から映画を観ていた。北朝鮮と韓国という特定国家の話の中から普遍的な経験を見つけ出し、共感したという外国人観客もいた。

「私の作った作品がたった一人でも観る価値があれば良いと思います。その一人がどこでどんなことを成し遂げるかは分かりませんから」。

自分を含めた一人一人の影響力を信じて映画を作っている彼に、20年近くこの仕事を続けている原動力は何かとたずねると、彼は「愛」だと答えた。

「戦争であれ、分断であれ、どこかに問題があるのなら、間違いなくそこには愛が欠乏しているからなのでしょう。愛を追求するためにずっと映画を作っているんだと思います。

最後に映画以外で成し遂げたい夢があるかをたずねた。

「遠い未来になるかもしれませんが、バス一台で釜山から出発し平壌と咸鏡北道を経てロシアを横断した後、ドイツとパリを旅行したいです。それが唯一の願いです」。

いつか南北が統一されたならユン・ジェホ監督は、アジアとヨーロッパを結ぶロードムービーを撮るだろう。彼の映画も、分断された韓国も、開かれた結末が待っているのだから彼の作品もまた待ち遠しい。

ナム・ソヌ 『シネ21』記者
イ・ミニ 写真家

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