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2024 AUTUMN

誰でも描ける民画の楽しみ

朝鮮時代から庶民の暮らしのなかに用いられてきた「民画」。1960年代以降に民画の収集家や研究者が登場し、民画を現代風にアレンジした画家の作品が注目されて関心が高まってきた。最近では趣味で民画を楽しむ人々も増え、公募展、アートフェア、ギャラリーを中心に拡大している。民画講師のシン・サンミさんは趣味で始めた民画の魅力にはまり、今では民画を習いたいという人々に教える講師となった。

民画講師として第2の人生を歩んでいるシン・サンミさん

熱意にあふれた受講者たちが絶え間なく出入りする学びの空間の名前はモリファ(毷離画)だ。文字通り「日常の悩みから解き放す絵」という意味の教室アトリエで人々は民画を学ぶ。

民画は朝鮮時代に家の中を装飾するために制作された実用画だ。「民衆の中から生まれ、民衆のために描かれて、民衆によって流通した絵」という意味から民画と呼ばれる。

一筆一筆、色を重ねる

シン・サンミ(申湘媄)さんのライフサイクルは、授業のある日とない日に分かれる。一週間のうち3日はレッスンがあり、3日はない。残りの1日は「学ぶ日」だ。

授業のある日には午前7時頃に起床し、中学生の娘を学校に送り出してから、飼い犬2匹を連れてアトリエに向かう。そこは景福宮の近くにある21坪(69㎡)のオフィステルで、家から車で10分ほどの距離だ。

「最初は自宅でご近所の皆さんを集めて、レッスン料ももらわずに教えていました。それから1年ほど経ったあと、本格的に授業をしてみようと思い立ち、アトリエを設けました。景福宮の近くなので家賃も高いのですが、でもそのおかげか全国から習いに来られます」

アトリエに到着すると電気自動車を充電する。犬の散歩からアトリエに戻ると、作業用のエプロンをかけて植木に水をあげたあと、授業の準備をする。最初のレッスンが午前10時30分に始まり、きっちり3時間後に終わる。

「最初は机5台を並べて始めました。今は8台に増えました。1クラス8人で、合計6クラスあります。空席が生じたら入りたいと待機中の方もたくさんいらっしゃいます」

民画は専攻者、非専攻者の差があまりない。下絵があるので、描きたい絵を選んで彩色すればよいからだ。それで初心者も簡単に始められ、出来上がりも比較的満足のあるできばえだ。

民画は努力しただけの成果が現れる絵だ。それで専攻者、非専攻者に関係なく誰でも楽しめる文化だという。

「民画は粉絵の具を膠でといて、一筆一筆、色を重ねていく作業です。一つの作品を完成させるのには数カ月かかるんです。瞑想するようにゆっくりと作業をしていると、時間が経つのも忘れてしまうほど、そんな魅力があります。誰でも楽しむことのできる文化です。皆さん、面白いと言って通っていらっしゃいます」

特別な才能や技術がなくても努力すれば努力しただけの成果がでる。日常の些細な悩みもすっかり忘れて作業に完全没入できる時間だ。

描くことに没頭する日々

民画の講師になる前のシン・サンミさんは、20年間会社勤めをしていた。大企業で壁紙、床材、家具用シートなどをデザインするデザイナーだった。

「2000年代の初め、カラーやパターンなど多様なデザインのチャンパン(床用シート材)市場が大規模に形成されていました。そのシートに民画の蝶を入れてみたくて民画作家を紹介していただきました」

それが民画との出会いだった。

「会社の仕事を本当に一生懸命していました。朝も一番先に出勤し、誰かに言われたわけでもないのに日曜日にも働いていました。それが4年程前に子供の体が悪くなり会社を辞めることになりました。数十年間、毎日やっていた仕事を突然辞めたことが大きなストレスとなって、身も心もボロボロになったんです。このままじゃいけないと。どこかで花の絵でも描こうかと家の前の工房を尋ねました。その時から本格的に民画を描きはじめたんです」

おもしろかった。絵を描いている間は悩みなどすっかり忘れることができた。本当に食事をする時間以外は絵だけ描いている日々だった。一箇所のアトリエで描ける民画には限りがあるので、いくつかのアトリエを行き来しながら片っ端から描いていった。そうするといつの間にか実力もついてきた。他人が10年かかって学ぶことを2~3年で身につけた。ふと屏風の一つくらいは描けるのではないかという気がして屏風を描き始めた。1年ほどかかる作業を3カ月で終えた。その当時に描いた屏風は「大韓民国民画公募展」で最優秀賞を受賞した。そして、そろそろアトリエをもっても良いだろうと考えて作業場を作り、受講者を受け入れ始めた。

「私は家にじっとしていられない人間なんです。何かを始めると体の痛みも忘れるほどに没頭します。褒められたい、うまく描きたい。絵を始めて活力が生じ、子供の世話をする時間の余裕もできて子供も私も健康になりました」

短期間で民画作家としての地位を固められた理由の一つが、会社勤務経験が大きかった。壁紙、床材、家具用シートなどをデザインしながら赤、黄、青の3色を組合わせる作業を20年間もしてきたからだ。

「私は色づくりに特化していたんです。民画には決められた色はありません。同じ絵でも作家ごと、工房ごとに色が違います。多彩な色を試し塗りしながら自分の色を探していくんです。五方色(5つの方位を象徴する青、白、赤、黒、黄)を華やかに使ってこそ民画だという人が多くいますが、私は「間色」と呼ばれる中間色を積極的に使っています。五方色は韓屋には似合いますが、現代的なインテリアとは合わないと思います。私が出品した屏風図も出品作の中で唯一暗い色彩の絵でした。最近はトーンダウンした黄色、辛子色にはまっています」

毎週火曜日は民画匠の先生のところで伝統民画を学んでいる。午前11時から午後5時まで、10人余りの受講者たちと一緒に聞いている。

「公募展の授賞式の日に、民画匠の先生方が最前列に座っておられました。その中に実家の父と似た雰囲気の方がおられました。それでその方の前に行き、弟子にしてくださいとお願いしたんです。絵の中の一つの花、一頭の蝶にもすべて意味があります。描いているとそれが知りたくなるんです。それで本もたくさん読み、講義も聞いているんです。講座の合間には先生とご一緒にご飯も食べ、マッコリも飲みながら、先生のお話を聞いています」

拙さも味わいに

レッスンのない日にはアトリエには行かない。

「当初はここで私の作業もするつもりでしたが、だんだんと会社のようになっていったので、家に帰りたい気持ちがどんどん大きくなっていったんです。それで個人的な作業は家でしています。でも今ではアトリエの名前もあり、教える側の立場となったことで、絵を描くとき肩に力が入ってしまいます。うまく描かなくてはという思いが先立ち、絵を描くこと自体が以前のように楽しめませんね。受講者さんたちの絵を見てあげ、その絵がどんどん良くなっていくのを見る方がずっと楽しくなりました」

受講者は主に40~50代の女性たちだ。作業台に絵と資料をたくさん広げておしゃべりをしながら休みなく手を動かす。そんな風に3時間ストレスを解消する。

「一人で作業をする場合はそれこそ無念無想です。休みの日には一日中ダラダラしていて夜になってから始めることが多いんですが、気がついたら夜明けになっています。私の母は70代ですが、母も私の受講者です。年齢とは関係なく、誰でもできるんです。素人の拙さも民画の味わいです。アトリエの会員展を開くと絵もよく売れます。高価なものではないので、誰もが気軽に買え、外国人も記念にたくさん買っていかれます」

シンさんの受講生が描いた作品。同じ下絵を使っても描く人の好みと選んだ色により全く違った雰囲気に仕上がる。

受講者たちの喜びがシンさんの生きがいであり、会社勤めをしていた当時とは違う喜びとなっている。早朝の3~4時まで描き、3時間ほど横になり、9時間授業がある日には食事をする暇もないほどだが、すべてに感謝している。情熱を注いで取り組んだ会社勤めの後に新に見つけた民画の道に感謝し、経歴の浅い自分に学びたいと遠くからやってきてくれる人々に感謝する。

「数年前に実家の父が亡くなりました。最近父のための絵を描いています。私が好きな辛子色、そして青色で。

ファン・ギョンシン黄景信、作家
ハン・ジョンヒョン韓鼎鉉、写真家

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