韓国といえば一番初めに思い浮かぶイメージは?長い間「パルリパルリ(早く早く/急げ急げの意)」が韓国の代表的なイメージとされた。実際この「パルリパルリ」の文化は、韓国戦争後の新たな跳躍のためには止むを得ない社会生活の方便だった。さてこの冬、あなたがもし韓半島南部の内陸奥深くにある茂朱郡を旅行するとしたら、断片的な「パルリパルリ」のイメージの向こうに存在する韓国の隠れた一面に出会うことができるだろう。
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徳裕山(トギュサン)は韓国で有名な名山だ。特に冬場には雪が凍ったり溶けたりを繰り返しながら樹氷を作るが、その風景は実に壮観だ。
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徳裕山(トギュサン)は「徳が多い」という意味を含んでいる。標高1,614メートルの香積峰を中心に壮大な稜線が南北に30キロ以上続いている。その中には標高1300メートル内外の峰をはじめ、20余りの大小の滝、13にも及ぶ高台、そして数十箇所に池を有する。
特に水流が9千箇所も蛇行することから九千洞と呼ばれる渓谷は、景色の優れた美しさで四季折々に観光客を呼び集める。その中でも印象深い景地を選定し「九千洞33景」と呼んでいる。
韓国最高の冬山
登山だけでなくスキー場としても有名な徳裕山は、ゴンドラを利用すれば頂上の香積峰まで20分で登ることができる。ウィンタースポーツと雪花登山を楽しもうとする人たちで賑わうので、ゴンドラの予約は必須だ。
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この山の魅力は自分の足で踏みしめてこそ感じることができる。冬に雪が降ると木々の枝に積もった雪が昼間の日差しで少し溶け、気温が下がると再び凍りつく。このように溶けては凍るを繰り返すと、木の枝全体がまるでガラスでコーティングしたかのように、透明な氷に包まれる。「樹氷」と呼ばれる自然現象だ。ところが、徳裕山の樹氷は他の所とは異なり、はるかに厚く透明だ。高度1,000メートル以上はある上、湿度と風量まで適しているためだ。樹氷に覆われた木々に触れながら歩くと、枝同士が互いにぶつかり合い、音を奏でる。言葉では言い尽くせないほど清らかな音が響き渡る。
徳裕山は韓国で4番目に高い山ではあるが、無理なく登ることができる。登山の経験が乏しく山登りに自信がない人は、ゴンドラを利用できるからだ。標高1,520メートル地点までわずか20分で行ける。ゴンドラに乗って到着地点で降りた後、緩やかな階段を600メートル上がればすぐ香積峰に辿り着く。登山の準備ができなかった人は、乗り場のサービスエリアでアイゼンやスパッツ、登山トレッキングポールなどの冬の登山装備をレンタルすることもできる。
徳裕山のもう一つの楽しみ方はスキーだ。韓国唯一の国立公園内スキー場であり、ゲレンデ面積が最も広いスキー場であると同時に、最も大きな標高差を持つスキー場だ。圧倒的なスケールを誇る。ハイキングであれ、スキーであれ、なぜ徳裕山が韓国で最も美しい冬山と呼ばれるのか、納得できるはずだ。
素晴らしいのは絶景だけではない。清浄な自然環境は並ぶものがなく、中でも徳裕山の麓に位置する茂朱(ムジュ)の美しさは特別だ。例えば、茂朱では1997年以来、毎年夏に茂朱ホタル祭りが開かれている(2020年と2021年は新型コロナウイルスで中止)。ホタルは汚染されていないきれいな水辺でしか生息できないため、環境指標種としても知られている。徳裕山の北側に沿って流れる南大川一帯には特に、数多くのホタルが生息している。茂朱一帯のホタルとその餌の生息地は、1982年から天然記念物322号に指定され保護されている。
優れた自然環境
環境指標種であるホタルをテーマとした「茂朱ホタル祭り」は、ホタル探査と生態環境プログラムなどで構成され、自然と人間が共存する暮らしの価値を共有する茂朱郡を代表する祭りだ。
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韓半島で環境を保護するための努力が本格的に始まったのは1960年代からだ。1963年再建国民運動本部は、政府に智異山(チリサン)国立公園指定を提案した。続いて1964年、徳裕山の南側にある智異山付近の求礼郡民が智異山国立公園推進委員会を結成し、基金を募って準備するなど自発的な活動の末に、智異山は1967年に韓国国立公園第1号に指定された。その後1975年には徳裕山一帯も国立公園に指定された。韓国で10番目の国立公園が誕生した瞬間だった。
徳裕山の標高1300メートル地点では馴染みのある木が見渡せる。クリスマスシーズンには欠かせないクリスマスツリーとして使われるチョウセンシラベだ。野外用クリスマスツリーとしては背の高いドイツトウヒやモミの木を多く使うが、室内用としてはこぢんまりとしたチョウセンシラベがよく使われる。大きさもピッタリだが、枝の間隔に余裕があり、クリスマスツリーの飾りが付けやすいからだ。
クリスマスツリー用のチョウセンシラベは、20世紀初めに「韓半島固有種」としてチョウセンシラベを改良したもので、「韓半島固有種」という言葉からも分かるように韓半島が原産地である。ところが、この身近な木を永遠に見ることができなくなるかもしれない。2013年、国際自然保全連盟がこの木を絶滅「危惧種」に分類したのだ。「韓半島固有種」という名から分かるように韓半島から姿を消せば絶滅するということを意味する。ややもするとクリスマスツリーの原型が絶滅し、地球上で永遠に姿を消してしまうかもしれない。
幸いなことにチョウセンシラベの絶滅を指をくわえて見ているわけにはいかないと、その対策を模索し始めた。1984年から「我々の山河を青々と」というスローガンのもとに、山林造成および森づくり事業を展開している(株)柳韓キンバリー(Yuhan-Kimberly, Ltd)が、国立白頭大幹樹木園とともに2021年からチョウセンシラベの保全事業を進めている。実際、国立白頭大幹樹木園の温室で6800本余りの苗を育てており、その数をさらに増やすために2022年には12万個のチョウセンシラベの種を収集した。徳裕山をはじめとするチョウセンシラベが生育するのに適した環境を探して移植するためである。まるで重要なデータを失わないためにバックアップ作業をするかように、チョウセンシラベを保全するためのある種「ノアの方舟」を用意しているのだ。
茂朱(ムジュ)藤の運動場で開かれた茂朱山奥の映画祭。藤の運動場には500余本の藤が植わっており、観客席の屋根まで伸びた藤のつるが、木陰を作るように設計された競技場だ。
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バックアップの起源
そういえば、茂朱には実際、ノアの方舟の役割をしてきた空間がある。徳裕山国立公園に属している赤裳山に位置する史庫だ。
14世紀末~20世紀初めまで存在した朝鮮王朝は記録を非常に大切にした。記録を残すことで絶対権力者である王の独裁を防ぎ、後代にはノウハウを伝授するという目的だった。代表的な記録物に『朝鮮王朝実録』がある。建国以来、なんと472年間の歴史を日々収録した本だ。一王朝の歴史的記録のうち、世界で最も長い時間をかけて作成された記録物として挙げられる。また、王朝時代の原本がそのまま残っている世界唯一の事例だ。このような点が高く評価され、1973年には韓国の国宝に指定され、1997年にはユネスコ世界記憶遺産にも登録された。
記録当時から今に至るまで、幾たびもの戦禍や火災、そして無数の天災地変にもかかわらずよく保存され、伝わった理由は何だろうか?まさに「バックアップ」があったからだ。朝鮮は『朝鮮王朝実録』を常に4~5冊ずつ作成し、1冊は首都に置き、残りは様々な地方に分散して保管された。また保管しっぱなしではなく、3年ごとに一度取り出して「曝書(ばくしょ)」と呼ばれる作業、すなわち湿気によるカビや、防虫対策のために日にさらしたり風に当てたりすることを繰り返した。
もちろん、絶体絶命の瞬間もあった。16世紀末に起こった東アジア三国間の戦争当時、茂朱から南西へ約50キロ離れた全州史庫にあったものを除くすべての『朝鮮王朝実録』が焼失してしまったのだ。戦後、朝鮮が行ったことは、当然、その唯一の『朝鮮王朝実録』を再びバックアップすることだった。改めて5冊に復旧し全国に分散保管し、その中の一箇所が赤裳山の史庫だった。史庫周辺が絶壁であるため敵が侵入しにくく、緩やかな地帯はすでに1500余年前からあった赤裳山城を建て直して補完した。
ただ、赤裳山史庫に保管されてきた朝鮮王朝実録は20世紀初めにソウルに移されたが、韓国戦争時に忽然と消えてしまった。それでも計1893巻88冊で構成された膨大な量の『朝鮮王朝実録』は、今日まで後世に引き継がれれている。実に、バックアップのおかげである。
テコンドー院は競技、体験、修練、教育、研究、交流などテコンドーに関するすべてを体験できる世界唯一のテコンドー専門空間だ。また、一般人を対象にテコンドーが楽しめるテコン・ステイも運営している。
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茂朱に旅行する理由
茂朱は観光地にとどまらず、韓国社会が自然との共生のために注いだ努力と年月を理解するのに相応しいところだ。邑内の南側には、500本余りの藤のつるが鉄製の骨組みを蔦って枝葉を広げている。夏は観客席に木陰を提供し、冬には降る雪をしのげるように設計された「藤の運動場」だ。
一時期、実用的で機能的な建築物を志向したモダニズム建築が見落とした部分があった。まさに人間と自然の交感である。実際、モダニズム建築は自然の上に君臨するかのように、しばしば威圧的で、自然も造景という名目で作られた人工的なものだった。しかし、この運動場を設計した建築家チョン・ギヨン(鄭奇鎔、1945-2011)の考えは違った。自然を人為的に変形して活用するのではなく、自然自体が主人のように据え置かれるよう、自然に対する見解を変えたのだ。自然は刻々と変化する。毎年春になると花が咲き、夏になるといつにも増して旺盛に茎を伸ばし葉をつけ、秋になると葉が枯れ落ち、そして冬枯れとなる。建築家は細枝さえ印象的な藤を利用して天然のスタジアムが出来上がるよう誘導したのだ。観客席の一番後ろの列で運動場を一周してみると、世界にたった一つの茂朱藤運動場の魅力に浸れるだろう。
茂朱への旅は韓国の冬が持つ魅力に感嘆できるきっかけになるかもしれない。また、その魅力の最大の根源の一つ自然そのものの美しさと豊さを満喫する旅にもなるだろう。同時に「パルリパルリ/早く早く」に集中し過ぎて周りに目を向ける余裕がなかった韓国社会が、自然とどんな方式で交感し共存してきたのかを発見する旅になるかも知れない。今年も茂朱に冬が訪れた。今すぐにでも茂朱に行かなければならない理由だ。
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クォン・キボン權奇鳯、作家