「千の島に千の色」。独特な自然景観と多彩な資源を抱き、韓国の南西の海に浮かぶ美しい新安(シナン)の島々。そこには、数万年の「土着の知識」が積み重なり、計り知れない未来の価値となっている。ペルーのリマで今年3月19日に開かれた第29回ユネスコ人間と生物圏計画国際調整理事会は、新安全体をユネスコ生物圏保存地域(エコパーク)に登録した。2009年に曽島から紅島に至る沿岸・内海・外海の海、干潟、島の一部が登録されているが、その対象が拡張されたわけだ。
可居島(カゴド)の島登山道には、高さおよそ100メートルの絶壁の海岸の上に草原が広がっている。稜線に沿って歩いていくと、朝鮮半島の南西端に行きつく。
島に入ると、異国のような景観、心が解き放たれるような壮快感、さらには日常から脱した解放感、何にも邪魔されることのない休息への期待に胸がふくらむ。島への旅は、規格化された時間の連続に縛られた機械的な日常生活から脱し、自然の摂理に沿った不連続な時間旅行といえる。内陸から島へ、島から島へと伝えられてきた物語があふれる新安の島なら、とりわけ強く感じるだろう。船に乗って新安の島に渡るのは、島の人々の暮らしに込められた物語の玉手箱を開けることに他ならない。
沿岸の島々
智島(チド)は、新安の島の中で最初に陸地とつながったところだ。続いて沙玉島(サオクド)、曽島(チュンド)が橋で結ばれた。そのため、これらの島は船に乗らなくても行くことができる。ラムサール条約湿地でもある曽島の干潟は、多様な塩生植物によって季節ごとに色とりどりに装いを変える。それほど深くない海底で発見された沈没船「新安船」は保存状態が良く、この一帯が古代から貿易船の通る要衝だったことを物語っている。干潟を干拓した太平塩田は、塩博物館として使われている石造りの塩倉庫とともに近代文化遺産に指定されている。この文化遺産は歴史資源としての価値を超え、塩田労働者の喜怒哀楽を今に伝えている。ミネラルが豊富で塩度の低い「干潟天日塩」は、新安の島々が次の世代に贈る最大の資源だ。
智島の西端にある占岩船着場から船で30分ほど行くと、新安の島のうち最北端となる荏子島(イムジャド)の鎮里船着場に到着する。荏子島には幅300mの白い砂浜が12kmにわたって広がっており、ゆっくり歩いて3~4時間かかる。韓国で最も広い白い砂浜のため、荏子島は「砂の島」とも呼ばれている。この白い砂浜は、海側に干潟がある。小さなカニなど、たくさんの海の生き物が夜通し活動している。そうした生き物は、夜中に砂の玉を作り金色の砂地に絵を描く。海はただ寄せては返し、絵を消し去っていくが、小さな創作家は休んだりしない。次の日も新しい絵で、金色の砂地を飾る。
荏子島の大光海水浴場では、毎年4月に珍しい風景が見られる。ここで開かれるチューリップ祭りは、12万㎡(チューリップ公園6万8000㎡、松林院5万2000㎡)の公園に300万本のチューリップが咲き乱れる。韓国で最大規模を誇り、今年で9回目を迎える。木浦大学校園芸科学研究チームが「荏子島の肥えた砂質の土、豊かな日照量、適度な海風が、チューリップの生育に適している」と提案し、地元の自治体が受け入れた結果、新たな資源が作り出された成功例だ。こうした天然資源と人工資源の調和によって、訪れる人々に特別な安らぎを与える荏子島。だが、この島が人の力によって造られたという事実は、あまり知られていない。もともと島の半分ほどが海面下にあったが、島の住民が長い歳月をかけて石を運んで堤防を築き、海水を阻むことで近隣の6つの島を一つにしたのだ。
この島の北側にある前場浦で作られるアミの塩辛は、韓国最高の味と品質を誇る。この地では、アミの塩辛作りの秘訣が伝えられてきた。肉質が最も良い旧暦6月にアミエビを捕り、船上ですぐに塩漬けして、前場浦村の裏手にあるソルゲ山の麓の土窟で長期間熟成させるというものだ。これに、細かな直観的マニュアルといえる「土着の知識」が加わり、前場浦のアミの塩辛は長い間、極上品であり続けている。その地ならではの特産物、スローフードは、伝統を受け継ぐことで生まれる。2020年には智島と荏子島を結ぶ橋が建設される予定だ。
牛耳島(ウイド)の上山峰から木浦(モッポ)の方を眺めると、多くの島が点々と浮かび、多島海の美景を一望できる。
起伏が激しい山の島・長島(チャンド)は、頂上に典型的な山岳湿地といえるラムサール条約湿地がある。
渡り鳥の楽園、ダイヤモンド諸島
T新安中部の島々は、ダイヤモンドの形に分布しているため「ダイヤモンド諸島」という愛称で呼ばれるようになった。そこには広く知られた島が多くあるが、特にダイヤモンドの左角に当たる飛禽島(ピグムド)は最近、人工知能アルファ碁と世紀の対局を繰り広げたプロ囲碁棋士イ・セドル(李世乭)九段の故郷として有名だ。
飛禽島から北西へ10kmのところにある灯台の島・七発島は、渡り鳥の憩いの場だ。朝早く船で七発島に近付くと、島が海霧に覆われて、まるで空に浮いているように見える。そっと近付いて絶壁に船をつけ、険しい岩に降り立つしかない無人島だ。この島は天然記念物で、クロコシジロウミツバメ、オオミズナギドリ、アマツバメなど夏の渡り鳥がやって来て繁殖する。特に全世界のクロコシジロウミツバメの80%が生息しているほどだ。シベリアから東南アジアを結ぶ東アジア・オーストラリア地域フライウェイの重要な中継地として、鳥類の種多様性の保全において世界的に重要な場所となっている。内海の七発島だけでなく紅島や黒山島も、韓国に飛来する渡り鳥の80%が羽を休めていくほどで、毎年271種30万羽が観察されている。
新安内海のダイヤモンド諸島に広く分布する干潟は、豊かな生態系を育む「生きた空間」だ。干潟・砂丘・島の複合生態系に生きる豊かな海洋生物は、渡り鳥のエサになっている。そのため、この地域が渡り鳥の重要な移動経路として定着したのだ。
この島々に多くの渡り鳥が立ち寄る決定的な理由は、干潟にある。韓国の干潟は、オランダからドイツ、デンマークにまで広がるワッデン海、アメリカのジョージア州沿岸、ブラジルのアマゾン川河口域、カナダ東部の沿岸などとともに世界的に価値を認められており、新安には韓国で一番面積の広い干潟がある。新安にある1000以上の島は、毎日2回の満潮と干潮によって、満潮時には「海上に浮かぶ島々」が、干潮時には干潟と網の目のようなクリーク(水路)に囲まれた「干潟の上の島」に変化する独特な光景を演出する。新安内海のダイヤモンド諸島に広く分布する干潟は、豊かな生態系を育む「生きた空間」だ。干潟・砂丘・島の複合生態系に生きる豊かな海洋生物は、渡り鳥のエサになっている。そのため、この地域が渡り鳥の重要な移動経路として定着したのだ。
都草島(トチョド)の南西には、大小さまざまな石を積み上げたような牛耳群島がある。タブノキとツバキがあふれる島里山、海辺の砂漠のような砂浜、そして小高い金色の砂丘のある島だ。この砂丘は現在、砂が減っているため、2020年まで一般人の立ち入りは禁止されている。また、一部には岩山があり、雨の日には滝口がどこだか分からないほど小さな滝がいくつも現れる。島の西端から東端までは4kmほどで、その間にある村々を訪ね歩くと、曲がりくねった路地や黒くコケが生えた古い石垣など、静けさと懐かしさが感じられる。
すでに陸路とつながっている新安郡庁の所在地・押海島と、ダイヤモンド諸島の右上辺にある岩泰島を結ぶ新千年大橋が、2018年に開通する予定だ。この橋はダイヤモンド諸島との架橋を促し、島民の生活・文化面での利便性を向上させるだろう。しかし、それによる開発圧力は新たな問題を生むはずだ。なぜなら、島ならではの特徴は、海によって守られているからだ。
牛耳島(ウイド)豚穆村の砂丘は、雨や風によって日ごとに姿を変える。「豚穆(ドンモク)の娘は、砂を3斗食べなければ嫁に行けない」ということわざも生まれた。
果てしない外海で出会う島々
木浦旅客船ターミナルを出発して飛禽島と都草島を過ぎると、新安の小さな島々を背に、遮るもののない広い海が開ける。初めての乗客は、防波堤さながらに波と風から守ってくれる島々から離れ、急に宙に投げ出されたような不安を覚えるかもしれない。だが、快速船はいつもの慣れ親しんだ海路を静かに進んでいく。
黒山島、紅島、可居島、多物島、長島、永山島、晩才島などの島々が、陸地から遠く離れた外海に広がる。四季の変化は言うまでもなく、一日の中でも表情豊かに変わっていく景観だけをとっても、新安の真珠と呼ばれるにふさわしい紅島(ホンド)。島に入って雨風で足止めを食らうと、深い原始林にいるような気分を味わえる神秘の島・可居島(カゴド)。島の内陸に独特な山岳湿地を抱く長島(チャンド)。石柱大門をはじめとする永山八景の秘境を誇る永山島(ヨンサンド)。そうした島々は、まとめて黒山群島と呼ばれている。
丸い石の浜辺「チャクチ」が広がる村、どこから見ても美しい晩才島(マンジェド)は、黒山群島の宝であり未知の島だ。晩才島は、大きな船が接岸できないほど小さいため、木浦(モッポ)を出発した船が可居島から戻ってくる途中、海上で小さな船に乗り換えて1kmほど行かなければならない。そのため、空のご機嫌が良くなければ近付けない「迷人島」でもある。石垣に沿って島の丘を上がっていくと、眼前に広がる島々。真っ白な灯台の下に見える柱状節理は、水煙と朝焼け・夕焼けに映えて壮観だ。チャクチ浜辺は、漁民にとってはワカメを干したり、資源を分け合う生計の場。島の海女は、海岸の岩でワカメを採るなど、海の資源を適度に活用しながら暮らしている。景観と資源の保全だけが、この島での生存の法則だということを経験上、知っているからだ。
ガンギエイで有名な黒山島(フクサンド)は、蝟島・延坪島(ヨンピョンド)とともに韓国の三大波市(漁場で開かれる市場)の一つだった。1970年代末まで続いた波市は、10月まで月の魚の種類によって開かれていた。1~4月のイシモチ波市、2~5月のクジラ波市は、黒山島を象徴するほど賑わった。1960年代には波市に500隻の船が押し寄せたという。そうした記録は、ここが船員の「ゴールドラッシュ」の地だったことを物語っている。考古学的な証拠によると、黒山島の邑洞港は、統一新羅から高麗時代にわたって中韓海上貿易の拠点だった。
黒山群島と牛耳島(ウイド)、そして周辺の無人島には、タブノキとツバキがあふれている。これらの木は、韓国の暖温帯性常緑広葉樹林帯における優占種だ。気候温暖化の影響の中、この暖温帯性常緑広葉樹林と針葉樹林の生存戦略が見られる場所でもある。気候と植生の変化を読み取り、島の植生の将来的な変化を判断する上で、貴重な苗床といえる。
菜の花が咲き乱れ、芸術の香りあふれる安佐島(アンジャド)。韓国の現代抽象画の先駆者キム・ファンギ(金煥基、1913〜1974)の生家が保存されている。
持続可能性の鍵は人材育成
船で島を発つ時、私の頭の中は物語の詰まった玉手箱のようだった。船室で観光客と島民の話を聞きながら寝ようとすると、いつの間にか島で会った澄んだ目の子供たちが思い浮かぶ。
すでに述べたように、新安には無限の自然資源と文化資源がある。新安で生まれて教育を受けた子供たちを、これから新安を発展させる主役として育てていかなければならない。そうした子供たちこそ、島嶼地域の豊かな天然資源を保存・管理し資源化する先端科学クラスターのリーダーになるための、そして景観や文化資源を世界化するための適任者なのだ。新安郡全体がユネスコ生物圏保存地域(エコパーク)に登録されたことは、その礎となるはずだ。押海島(アッぺド)
は、旧石器時代から有史時代に至る数万年の歳月を受け継いできた遺産にあふれ、新安の歴史都市であり行政の中心地でもある。そこに新安をリードする人材を養成する学校を建て、島と沿岸科学と文化の専門家を育てなければならない。これこそ真の持続可能な未来を開く鍵となるだろう。
遠くに木浦旅客船ターミナルが見える。まるで母のように手を広げ、人々を抱く儒逹山。日が暮れる頃、夕闇迫るターミナル前の刺身屋にぽつぽつと灯がともる。到着案内の放送が流れる前から、船着場前はごった返す。かばん、発泡スチロールの箱、黒い袋に島の思い出をつめた人たちが降りていく。体は人波に押されるように船から降りるが、心はいつかまたこの船に乗るという期待でいっぱいなのだろう。
イ・ホンジョン 李憲宗、木浦大学校考古学科教授
裴柄宇 写真
新安(シナン)の島干潟は、幾何学的に広がるクリーク(水路)によって、世界的にも稀な干潟堆積システムが見られる。
新安多島海「島干潟」の独特な多様性
新安の島々は、岩石が基盤となっており、陸地だが海の一部でもある。多島海沿岸の独特な地形が生み出した「島干潟」は、毎日の潮の満ち引きによって自然がもたらす、珍しくも素晴らしい風景だ。
干 潟は、干満差によって堆積物が海洋から陸側に運ばれたり、川の水によって陸上の堆積物が河口に広く平たく積もったりしたものだ。主に海岸線が入り組んだ地域の湾や河口に多く、波に乗った堆積物は重いほど沿岸の外側に、軽いほど沿岸の内側に堆積する。したがって干潟は、外側が砂質干潟、中間が砂泥質干潟、内側が泥質干潟になるのが一般的だ。
地形、風、岩盤
T新安多島海の「島干潟」は、そうした沿岸域の干潟における典型的な特徴が見られない。外海の島が内海の島を保護しており、外海でも内海でも一つの大きな島を中心に多くの属島がある。そのような地形上の特殊性によって、一般的な堆積システムとは違い、島の各面や海岸線の状況によってさまざまな種類の干潟が形成されるのだ。例えば、島の北西側は、北西風の影響によって外海に相当するため砂質干潟が、中間にあたる北東と南西側は砂泥質干潟が、内海に相当する南東側は泥質干潟が発達している。また、多様な島の配置によって幾何学的に広がる数多くのクリーク(水路)は、泥質干潟の上に砂泥質干潟が、その上に砂質干潟が積もった世界的にも稀な干潟堆積システムが見られる。島の南東側に厚く堆積した泥質干潟は「時間の空間」だ。韓国語の「ケッポル(干潟)」は「広く平らな地」という辞書的な意味も持っているが、その典型性を超えて丘になっている。「干潟丘」という新しい用語で表現する方がいいのかもしれない。
新安多島海の島干潟の特殊性は、季節的な変化にもある。朝鮮半島の地理的な特性として、冬には北西の季節風、夏には台風の影響を受けるため、同じ干潟でも夏と冬の堆積物が違ってくる。つまり、夏は砂泥質干潟でも、冬には砂質干潟に近くなるわけだ。
また、新安多島海の島干潟には、世界的にも非常に珍しい「岩盤干潟」がある。干潟は世界的に見ても、沿岸に沿って水平な地形に砂丘が発達するものだ。一方、新安多島海の島々は、岩石が基盤となっており、氷河期以降の水面上昇によって形成されたため、岩石に干潟が接している「岩盤干潟」が存在する。
多島海の島干潟は、生物多様性の源。
生物多様性保全と干潟暮らしの文化伝承
厚く堆積した泥質干潟が丘をなしている。
このような地形的・地質的多様性は、豊かな生物多様性の源となる。複雑に発達したクリークは、酸素を運ぶ毛細血管のように干潟に養分を与える。幾何学的な模様のクリークがもたらす審美的な美しさは、二次的なものに過ぎない。酸素がよく通る酸化層が厚いため、多種多様な干潟ベントス(底生生物)の生息にも適している。生息するマクロベントス(大形底生生物)の種類を見ても、生物がどれほど多様なのかよく分かる。オランダからドイツ、デンマークにまで広がる1万4000㎢もの広大なワッデン海の干潟には約160種類が生息しているが、その2.8%に過ぎない400㎢の新安多島海の島干潟には約600種類が生息している。
そして、生物の多様性は文化の多様性にもつながっている。
数千年の間この地で続いてきた人間活動を「干潟暮らし文化」として伝承していくことは、今の時代を生きる私たちの使命だ。新安郡は、島干潟の多様性保護と管理のために多くの努力をしている。その結果、2009年5月に新安多島海の一部(573.1㎢)がユネスコ生物圏保存地域(エコパーク)に登録され、今年3月には新安多島海の全域(3238.7㎢)に対象が拡張された。韓国政府と地方自治体は現在、西南海岸島干潟のユネスコ世界遺産登録を目指している。