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Features

2021 SUMMER

女性のナラティブ-韓国映画の新しい波

新しい波の頂点に立つ女性監督

1世紀を超える韓国映画の歴史において、女性はほとんどの場合、制作の主体やテーマの中心にはいなかった。だがここ数年、女性監督の活躍が著しくなり、一歩進んだ努力によって、男性の目を借りなくても世界を捉える多彩な視点が含まれた映画を生み出している。イム・スルレ(林順礼)、ピョン・ヨンジュ(辺永姝)、チョン・ジェウン(鄭在恩)、キム・チョヒ(金初喜)、キム・ボラ(金宝拉)。彼女たちは、韓国映画の現在と未来を語る上で欠かせない監督だ。

イム・スルレ: 接点を見出す努力

韓国の女性監督の中で最も長く活動しており、最も多くの映画を作ってきた。そして、常に先頭に立って、女性映画人の歴史を刻んできた。イム・ス
ルレ監督の存在自体が、韓国映画の歴史の一面を象徴している。

『リトル・フォレスト 春夏秋冬』の撮影現場にてイム・スルレ監督(左下)と制作スタッフ。この作品はイム監督の8 作目のフィクション映画で、日常の繰り返しに疲れた主人公が故郷の田舎に戻り、自分の生き方を探す物語。1994年に短編映画『雨中散策(Promenade in the Rain)』でデビューしたイム監督は、韓国の映画史において6人目の女性監督だ。

 

『私たちの生涯最高の瞬間』は、2004年のアテネ・オリンピックでデンマークと名勝負を繰り広げたハンドボール女子韓国代表チームの実話を基にした作品。観客動員数400万人を記録して、商業的にも成功した。この映画によって「イム・スルレ」という名前が多くの人に知られた。

イム・スルレ監督は最近、新作『交渉』の編集が終盤にさしかかって多忙だ。中東地域で拉致された韓国人を救出するために奮闘する外交官と国家情報院の要員の物語で、キリスト教の宣教のためにアフガニスタンに渡った韓国人信者の実話をモチーフにしている。予期せぬコロナ禍の中でも、映画の重要なシーンは昨年ヨルダンで撮影した。イム監督の言葉を借りれば「映画に与えられた幸運を海外撮影で全部使ってしまったのではないかと思うほど」成功裏に撮影を終えたという。

この作品は、人気男性俳優を前面に出した犯罪アクション映画だ。そのため、イム監督のこれまでの作品に比べて、フェミニズムの視点を生かす機会が少なかったと感じられた。しかし、イム監督は「どんな作品でも人物を描く際には、従来の視点をただ踏襲しないように気を付けている。『交渉』も同じ態度で臨んでいる」と答えてくれた。

この映画を含め、イム監督の作品は実に多彩だ。高校卒業後に社会の壁にぶつかる若者を描いた長編デビュー作『スリー・フレンズ(原題:三人の友達)』(1996)、ナイトクラブを転々とするバンドマンの紆余曲折の人生を扱った『ワイキキ・ブラザーズ』(2001)、ハンドボールの女子韓国代表チームの実話を基にした『私たちの生涯最高の瞬間』(2008)、韓国の「幹細胞スキャンダル」を新たな見方で劇化した『提報者~ES細胞捏造事件~』(2014)、故郷に帰って素朴な田舎暮らしを始めた20代の若者の物語を爽やかに描いた『リトル・フォレスト 春夏秋冬』(2018)など、同じ監督の作品とは思えないほどジャンルも毛色も異なる。これらの作品の合間に、数多くの人権映画プロジェクトにも参加してきた。

1994年にソウル短編映画祭で大賞を受賞した『雨中散策(Promenade in the Rain)』以降、イム監督の映画観は深まり広がり続けてきた。それは監督が追求する映画と観客との接点を見出すために、たゆまず努力してきた結果だ。

「『スリー・フレンズ』と『ワイキキ・ブラザーズ』の2 本を合わせても、公開当時の観客数は15万人以下でした。そのため『私たちの生涯最高の瞬間』からは、本格的に商業映画の感覚を生かそうと考えました。その後も、伝えたいメッセージを保ちつつ、大衆性を備えた作品を選んできました。少なくとも製作費を回収できなければ、次の映画が作れないので」。

『私たちの生涯最高の瞬間』は、今でもイム監督の作品の中で最も重要視されている。人気のないスポーツをテーマにした上に、離婚歴があったり子持ちの女性二人を主人公にしたため、当時としては多くのハンディキャプを抱えてのスタートだった。しかし、400万人以上の観客を動員して大ヒットした。イム監督は「企画の勝利」だと、制作者のミョン・フィルムのシム・ジェミョン(沈載明)代表を称えた。イム監督とシム代表は、女性監督と女性制作者の第1世代だ。二人は、社団法人「女性映画人の会」の設立メンバーで、映画界における女性の権利の保護と歴史の記録に向けて、先頭に立って取り組んできた。

「1999年の釜山国際映画祭の時でした。シム・ジェミョン代表、ピョン・ヨンジュ監督など映画界の女性が数人集まって、この会を構想しました。女性が連携して権利を主張することも重要ですが、これから映画界に入る後輩のために機会を広げる組織を作ろうという話が出たのです。その翌年の4 月に正式に第一歩を踏み出しました」。

女性映画人の会は発足以来、『女性映画人事典』やドキュメンタリー『美しき生存-女性映画人が語る映画』(2001) を作り、毎年に開かれる年末の女性映画人イベントを企画・進行してきた。

かつて映画界の女性の当面の課題は、そこで生き残ることだった。誰よりも見事に生き残り、今も活躍しているイム監督の目に、映画界はどのように映るのだろうか。

「現在、大きな注目を集めている若手女性監督の感受性と、彼女らが作る物語を嬉しく思っています。それがすぐには、さらに大きな機会へとつながらないという限界はまだありますが、この1~2年で女性の映画は、多彩さと自由さをさらに増していると思います」。

またイム監督は、フェミニズム的なテーマを扱った映画が公開されると、男性観客がわざと低い評価をつけるなど対立的な雰囲気はまだ残っているが、OTT(インターネットによる大容量コンテンツ配信)市場の拡大で、女性監督に新しい機会が訪れる可能性も高まったと考えている。そして「ジェンダーにとらわれず、登場人物が独立した人格を持つ主体として、恐怖や不安のない穏やかな日常を過ごす映画が見たいし、そのような映画を作りたい」と話している。

「 伝えたいメッセージを保ちつつ、大衆性を備えた作品を選んで きました。少なくとも製作費を回収できなければ、次の映画が作れないので」

イ・ウンソン 李恩善、映画ジャーナリスト

ピョン・ヨンジュ : 「 やってはいけないこ と」から「やりたいこと」へ

ピョン・ヨンジュ監督は、1960年代生まれの女性監督としては珍しく熱狂的なファンが多い。テレビのバラエティー番組でのストレートな物言いで注目を浴びる前から、1990年代に早くもフェミニスト女性監督して頭角を現した。

ソウル延禧洞(ヨニドン)のカフェでポーズをとるピョン・ヨンジュ監督(2021年4月末)。ピョン監督は、1990年代に元慰安婦のドキュメンタリー3部作でキャリアをスタートした。

『火車』は、結婚1カ月前に突然失踪した女性を探す中で明らかになる真実を描いた作品。この映画によって、ピョン監督は第48回百想(ペクサン)芸術大賞で監督賞を受賞し、謎の多い女性主人公を演じたキム・ミニは、第21回釜日(プイル)映画賞で主演女優賞を獲得した。

ピョン・ヨンジュ監督は、1990年代に元慰安婦のおばあさんの声を収めた『ナヌムの家』3部作を公開したのに続き、既婚の中年女性の危うい欲望を描いた『密愛』(2002)、高校3年の受験生の成長物語『僕らのバレエ教室』(2004)、幸せになりたくて他人になりすました女性の人生を追う作品『火車』(2012)を演出した中堅監督だ。

世界有数の映画祭でも話題を呼んだドキュメンタリー『ナヌムの家』の連作から話を聞かせてほしい。
「映画はまだ見ていませんが、本当に尊敬しています」。1995年の公開当時、よく聞いた言葉だ。この映画の観客数は、全国で4800人ほどに過ぎなかった。さらに、元慰安婦のおばあさんの物語は誰もがよく知っているからと、映画を見るまでもないと記事を書いた記者もいた。そんな中、私の初作品を見て、批判的な意見を言ってくれた先輩もいた。最初は「苦労して作ったのに!」と腹が立った。しかし、そうした忠告について繰り返し考えるうちに、連作の次の作品では、おばあさんが他のおばあさんにインタビューを行うなど、制作や演出の方法が大きく変わっていった。

最初のフィクション映画『蜜愛』を作った時、どんな気持ちだったのか。夫の浮気で日常が崩れた30代の主婦が、隣の家に住む男と愛のないセックスをするという設定は、論争になり得るものだが。
私がフィクション映画を準備しているという噂が広がると、慰安婦をテーマにした映画の制作案がいくつも持ち込まれた。だが、全部断った。10年近くやってきたインディペンデント映画に重圧感を感じていたからだ。映画を見た人たちから、悪口でも褒め言葉でも何か言ってもらえるような映画が作りたかった。

元慰安婦のドキュメンタリーを作った立場から、セックスシーンで女性をどのように捉えたらいいのか苦悩もあったと思うが。
내チョン・ギョンニン(全鏡潾)の原作小説『私の生涯でたった一日だけの特別な日』の女性的なナラティブ(叙事)を生かし切ることが重要だと考えた。今になって私が反省しているのは、セックスシーンを構想する際に、撮ってはいけないことばかり考えていた点だ。私が何を撮りたいのか考えなかった。そのため、この映画のセックスシーンは守りに入っている。その後、私は私自身に問い続け、やりたいことを表現する方が、やってはいけないことを考えるよりも、はるかに良いと気付いた。何がしたいのかを考えた後、そうしてもいいのか考えるべきなのに、当時は違っていた。

若者の成長物語を描いた『僕らのバレエ教室』とスリラー映画『火車』の間のブランクが、かなり長かったが。
私はジャンル小説の熱狂的なマニアで、ジャンル映画もとても好きだ。『僕らのバレエ教室』を作ってから「私はなぜ好きなものと作るものが違うのか」と考えた。ある日、慶州(キョンジュ)を旅行している時に、宮部みゆきの小説『火車』を読んで、原作の版権を取得した。『火車』は普通の女性が、どのように人から外れた存在になるのかを一貫して描いた作品だ。一緒に映画を作ったプロデューサーが、当時「意味あるもの、正しいものを敢えて入れようとする必要はない。自分でも気付かないうちに投影されるはずだ」と言ったが、撮影しながらその言葉の意味を理解した。

良い女性のナラティブ、良い女性キャラクターが、必ずしも政治的に正しいわけではないようだ。
受動的だろうが、能動的だろうが、映画に何度も登場していようが、独立したナラティブを持つ女性キャラクターが、もっと増えればと思う。一般的に女性キャラクターの受動性が指摘される理由は、女性を対象化せず、しっかりとした役割を与えない作品が、これまであまりにも多かったからだ。受動的なキャラクター自体が悪いわけではない。監督の性別とは関係なく、多彩な女性の物語が映画に盛り込まれるべきだ。

「 何がしたいのかを考えた後、そ うしてもいいのか考えるべきなのに、当時は違っていた」

イム・スヨン 任洙姸、『シネ21』記者

チョン・ジェウン : 苦痛を扱う方式

女性ナラティブ映画のブームが到来する前から、 すでに『子猫をお願い』(2001)は存在していた。 チョン・ジェウン監督が、女性映画監督の系譜を語る上で欠かせない理由も、ここにある。

「 苦痛に満ちた人物を赤裸 々に描写したくなかった。 そのため、人の痛みや欲望 を極端に見せ過ぎない方法 を選んでいる」

ソウル市庁・新庁舎の建築過程を収めたドキュメンタリー『語る建築シティ:ホール』(2013)の封切り後、雑誌のインタビューでポズをとるチョン・ジェウン監督。チョン監督は、フィクション映画だけでなく『語る建築家』(2012)、『アパート生態系(Ecology in Concrete)』(2017)など多彩な方法と素材でドキュメンタリーを演出してきた。

「映画を専攻した女性で『子猫をお願い』の影響を受けていない者はいない」とある新人女性監督が話しているように、現在の韓国映画界をリードしている女性監督らは、まだ監督の卵だった頃に『子猫をお願い』を見て夢を育んだ。高校卒業から1年経った5人の女性が、社会で成長していく姿を繊細に捉えた作品だ。

公開当時、興行的に失敗したこの映画を復活させるため、マニアを中心に再上映運動が行われた。ロッテルダム国際映画祭やベルリン国際映画祭など海外の映画祭に招待され、好評を博した作品でもある。英紙ガーディアンは、現代の韓国映画の古典の一つとして、この作品を挙げている。監督は公開20周年を迎え、デジタルリマスター版の再上映を準備しているところだ。

興行的には失敗したが、ロイヤルティー(忠誠心)が高いマニアの支持を受けた。主な観客層は?
フェミニズムへの個人的な敵意を女性ナラティブ映画に激しくぶつけることはなかった。男性も、劇中の女性が出くわす状況に感情移入しながら映画を見ていた。それに比べて女性観客は、自分たちが置かれた現実を敢えて映画でまで見たくなかったのだと思う。

なぜこの映画のファンは、次の作品『台風太陽~君がいた夏~』(2005)で男性主人公が登場したことを残念に思わなかったのか。
なぜ男性の物語を扱うのかと聞く人もいたが、私は疑問に思った。女性監督も男性をうまく描く必要があり、男性監督も女性をうまく描くべきだ。女性監督だという理由で女性を主人公にして、女性のナラティブだけを表現する必要はないと思う。
しかし、こうも考えている。私が幼い頃に見た映画にも多くの女性が登場したが、男性監督が表現する女性キャラクターは、ほとんどが肉体的・性的に苦しい状況に置かれていた。でも私は、苦痛に満ちた人物を赤裸々に描写したくなかった。そのため、人の痛みや欲望を極端に見せ過ぎない方法を選んでいる。

『 子猫をお願い』(2001)のワンシーン。商業高校を卒業して社会に踏み出し た5人の友達の物語を繊細に描いている。女性の成長をテーマにした映画の口火を切ったと評価される作品

ドキュメンタリーの制作過程で参考にした昔のドラマは、どのようなものだったのか。

韓国ドラマの女性キャラクターは1990年代半ばまで、ほとんどが貧しい家庭に生まれた女性、娘を通じて何かを手に入れようとする母親、会社の社長に気に入られる女性主人公のような常套的なストーリーだった。カメラは、不幸な女性の苦しみを捉えることに血眼になっていた。女性が暴行やセクハラを受けるシーンが、あまりにも美しく描かれていた。女性の苦しみが、なぜ見世物になるのか。『モダンコリア』に携わってから、女性のナラティブを扱う際に、人の苦しみをどこまで見せるべきか深く考えるようになった。

『子猫をお願い』から20年経った今、韓国映画でも女性を捉える方式が大きく変わっている。観客の態度も、同様に変わったと思うか。
若い女性が最近、女性作家の文学作品や女性監督の映画に積極的に反応するようになったのは、とても重要な変化だ。結局、若い女性を変化させたのは、自らの自尊心と自負心だと思う。そのような点で、女性主人公が自らの欲望を正直に表現する物語がたくさん作られるのは嬉しいことだ。ただ、それが物語にとどまらず、現実の変化につながることも願っている。

イム・スヨン 任洙姸、『シネ21』記者

キム・チョヒ: ささやかな幸せと自由を享受する喜び

未婚でまともな職にも就けないが、明るい釜山(プサン)方言の40代女性。2020年に公開された『チャンシルさんには福が多いね』は、キム・チョヒ監督の初めての長編演出作だ。映画の主人公は、どこか監督と似ている。

『チャンシルさんには福が多いね』の撮影現場で俳優と意見を交わすキム・チョヒ監督(中央)。映画プロデューサーという自伝的な経験が反映された作品。映画では職を失った女性プロデューサーの物語をユーモラスに演出して、芸術性と大衆性の両面で認められた。

現実ではよく見かけるが、なぜか映画の主人公には選ばれにくいタイプの人がいる。チャンシルもその一人だ。夫も子供もなく仕事もない40代の女性を主人公にして、どんな物語が作れるのか。『チャンシルさんには福が多いね』は、そのような偏見を軽く吹き飛ばしてくれるような映画だ。物語は、主人公が映画のプロデューサーの仕事を続けられなくなったことから始まる。お先真っ暗なチャンシルは、絶望する代わりに仲の良い後輩俳優の家でハウスキーパーとして働きながら、たくましく生きていく。恋愛などしたことのない人生に、突然のときめきも訪れる。

チャンシルは、キム・チョヒ監督の分身だ。監督も「一番自信のある物語を書いていたら、こんなキャラクターが生まれた」と説明している。キム監督の本格的な映画人生は、パリ第1大学(パンテオン・ソルボンヌ)で映画理論を勉強していた時に、偶然ホン・サンス(洪常秀)監督の『アバンチュールはパリで』(2008)に現地演出家として参加したことから始まった。それから数年、プロデューサーとしてホン監督と共に映画を作った。しかし、突然仕事を失って、行き場も失ってしまった。その後、歯を食いしばって書いたシナリオが、この映画だ。

「製作費を支援してもらうために、投資会社にシナリオを持ち込む度に、よく言われた話があります。このシナリオの最も大きな問題は、チャンシルだと言うのです。あまりにも個人的な話だと。でも、実際に映画が公開されると、観客に一番受け入れられたのがチャンシルというキャラクターでした。もしかしたら、観客は最も保守的ではない集団かもしれません。静かに蓄積された女性の物語に関心を示して、受け入れる準備を整えていたのですから」。

キム監督は、まっすぐに自立しようとする姿勢に焦点を当てている。キム監督はチャンシルの言葉を借りて「経済的な自立だけでなく、精神的な自立を夢見ることが大切だ」と伝えている。

この映画は、コロナ禍で映画界が厳しかった2020年3月に公開された。映画のメッセージのように、公開も果敢に正面突破を選んだのだ。その結果、インディペンデント映画としては異例の2万人以上の観客が足を運び、主人公を演じた女優カン・マルグム(姜末琴)は韓国の主な映画祭で新人演技賞を受賞した。

『チャンシルさんには福が多いね』のワンシーン。急に仕事を失った主人公のチャンシルが、長い階段を上った先にある家に、間借りをするために引っ越している。人生の逆境・曲がり角にぶつかっても、たくましく生きる主人公の姿が、観客に温かい共感と癒しのメッセージを伝えた。

キム監督は、ホン・サンス監督の『ハハハ』(2010)以来、ユン・ヨジョンと親しい関係にある。キム監督が逃げるようにカナダに渡って1年間滞在し、韓国に戻った後、蔚州(ウルジュ)山岳映画祭の支援を受けて短編映画『山菜乙女(Ladies of the Forest)』(2016)を作った時も、ユン・ヨジョンは無償で快く出演してくれた。またユン・ヨジョンが慶尚道(キョンサンド)方言を使う役で出演する際に、釜山出身のキム監督が方言指導を頼まれて、映画の現場の楽しさを改めて実感したこともあった。ユン・ヨジョンがリー・アイザック・チョン監督の『ミナリ』(2021)によって、2021年の第93回アカデミー賞で助演女優賞を獲得すると、何度も一緒に映画を作ったキム監督もコメントを求められることが多くなった。「ユン先生は、今の結果が運のおかげではないと証明できるくらい、とても誠実な俳優です。現場でもセリフを間違えることなど全くありません。紆余曲折の人生を生きてきたので、演技には優れた洞察力があります。俳優がキャラクターに完全に同化するよりも、余白を少し残しておいて、そこに自分の姿を投影するのは本当にすばらしいことです。そのような点で、俳優ユン・ヨジョンの演技が大好きなのです」。

キム監督は最近、次回作の準備の真っ最中だ。精神的な問題を抱えた男女が主人公のロマンチック・コメディー映画。シナリオの原稿が上がってくると、無数のフィードバックを受けて修正し、映画が完成するまで長ければ数年間も辛抱強く進めていく。

「私は劇的な面白さよりも、監督の人柄がにじみ出るような映画が好きです」。

キム監督の次の映画も、きっとそのような作品になるだろう。『チャンシルさんには福が多いね』で、すでに証明されているように。

「 もしかしたら、観客は最も保守的ではない集団かもしれません。 静かに蓄積された女性の物語に関心を示して、受け入れる準備を整えていたのですから」

イ・ウンソン 李恩善、映画ジャーナリスト

キム・ボラ: 日常に投影された「時代」を読み解く

映画『はちどり』(2019)は、私的な話から一つの時代と社会が展望できることをはっきりと示している。キム・ボラ監督は、この最初の長編映画によって多数の海外映画祭で60以上の賞を獲得し、韓国の映画界をリードする有望株として一気に注目を集めている。

メディアとのインタビューで『はちどり』について話すキム・ボラ監督( 2019年)。「この映画が、1994年を経験して今を生きる全ての人に『手紙』 のように届けられることを願っている」

今まで女性のナラティブがあまりにも少なかったので、それを語る上でいや応なく、男性のナラティブとの違いを際立たせるしかなかった。

キム・ボラ監督の初の長編映画『はちどり』。14歳の少女の日常を通して、一つの時代を展望した作品と評価されている。

映画の背景は、北朝鮮のキム・イルソン(金日成)国家主席が死亡し、聖水(ソンス)大橋が崩れ落ちた1994年。中学2年生のウニの目を通した世界は、家族の葛藤から労働問題まで様々な階層・関係が絡み合っている。キム・ボラ監督は、中学生の主人公を複雑多岐な感情を持つ一人の「人間」として描きたかったと言う。

デビュー作『はちどり』の完成まで、とても大変だったと聞いている。最も大変だった点は?
企画書とシナリオを持って8~9社の投資会社を訪ねて回った。その時、主人公が高校生なら20代の有名俳優をキャスティングして商業映画として制作できるが、主人公が中学生なら成功の見込みはないという話をよく聞いた。それだけでなく周りからも、聖水大橋の崩壊事件がそんなに重要なのか、なぜ敢えてその時期を背景にするのかと何度も聞かれた。

主人公が中学生である理由は?
最近「中二病」という現象が注目を集めていて、英語圏でも「8年生シンドローム」という言葉がある。子供でも大人でもない中間の段階、14~15歳が人生の関門なのは普遍的な現象だ。中学生になると、新しく得た知識を消化できずに戸惑い、高校生になると少し社会化が進み、ある種の保護色を持つようになる。20歳を超えるとその色が自分のアイデンティティーとして定着し、30代を超えると石のように固まっていく。そのため、中学生という年頃が重要だと考えた。女の子が中学生になると女性として社会化が進み、様々な困難に直面する。ただ優しくて無邪気なわけではない。そのため私の映画では、中学生を立体的な「人間」として描きたかった。

多くの海外映画祭で様々な観客や映画関係者と出会ったと思う。この映画はどのように評価されたのか。
ベルリン国際映画祭では、上映時間がかなり長いが、テンポが良くて長く感じられなかったと評価された。トライベッカ映画祭では、韓国の女性監督が国際長編映画のコンペティション部門にノミネートされたのは初めてだと、とても歓迎してくれた。『はちどり』が海外映画祭に招待された2018年は、性被害を告発する「MeToo(ミートゥー)」運動をきっかけに、映画祭でも男女格差をなくそうとする動きが始まった時期だ。そのため、多くの人が温かく迎えてくれて、海外映画メディアは韓国のニュー・ウェーブとして私をはじめ何人かの女性監督の作品を紹介してくれた。

女性個人のナラティブ、しかも女の子の物語が、韓国の社会と政治を映し出せると考えたクリエイターは、これまで皆無に近かったと思うが。
この映画から女性の連帯やフェミニズムのようなキーワードを読み取る人もいるが、それを念頭に置いて計画的に作ったわけではない。「豆を植えた所に豆が出る」という韓国のことわざのように、私がフェミニストなので自然とにじみ出たのだと思う。
政治がどのように日常のあちこちに入り込んでいるのか認識することが、政治をきちんと知る方法ではないだろうか。そのような考えが、映画にも反映されていると思う。

キム監督の映画が女性映画として、キム監督が女性監督として分類・言及されることは、残念に思うか。
女性監督の映画としてカテゴライズされると、私の映画とは毛色の違う映画でも、女性が作ったという理由だけでまとめて分類されてしまう。しかし、今は仕方がないと思う。なぜなら、今まで女性のナラティブがあまりにも少なかったので、それを語る上でいや応なく、男性のナラティブとの違いを際立たせるしかなかったからだ。

女性の視点で戦争を扱った映画を作りたいと以前から話してきたが、その理由は?
20代半ばから戦争に関心を持っていた。ベトナム戦争で韓国軍が犯した蛮行を知り、加害国の女性としての微妙な立ち位置について考えるようになった。また、今まで韓国社会では、戦争についてきちんと扱ってこなかったと思う。今、韓国の人たちが苦しんでいる理由を知るためには、朝鮮戦争までさかのぼる必要があると考えている。

キム・チョヨプ(金草葉)の小説を原作とした映画『スペクトラム』を準備していると聞いた。
科学知識に基づいた『インターステラー』(2014)のようなSF映画もあり、SFというジャンルを通じて人間性を問う『ガタカ』(1998)のような映画もある。『スペクトラム』は後者に近い作品だ。今はSFジャンルについて一所懸命勉強している最中だ。その分野の素人が作ったという印象を与えないように努力している。来年の撮影を目指してシナリオを書いているところだ。

イム・スヨン 任洙姸、『シネ21』記者

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