最近、高速鉄道KTXのソウル~安東区間が開通したというニュースがあった。これで安東(アンドン)の北に隣接する故郷、栄州(ヨンジュ)まで1時間40分で行けるようになった。60余年前の寒い冬の日、1955年当時13歳の貧しい田舎の少年だった私は、栄州駅から生まれて初めて一人で汽車に乗った。朝早く乗り込んだ鈍行列車は、見知らぬ数多くの駅を通り過ぎ、あたりが暗くなる頃にようやく終着駅のソウルに到着した。
今やその遥かなる道のりをわずか1時間ちょっとで行けるようになった、何と大きな変化であり発展だろうか。しかし、この新しい交通手段の利便さと安楽さと速度に対する驚きと嬉しさの片隅には、過ぎ去った歳月のスローな人間臭い風景への懐かしさが沈殿している。
© Ahn Hong-beom
少年の最初の汽車旅行は恐ろしさと同時に、物珍しさで胸が躍った。隣の席に座ったおじさんからは「何をしに? どこへ行くのか?」とたずねられ、中学の入学試験を受けにソウルに行くんだと胸を張って答えたものだ。客車の中は座席も通路も人でいっぱいだった。汽車がトンネル内に入ると客室の中が真っ暗になり、すぐにまた明るくなった。そして機関車が吐き出す黒い煙とその響きが開いた窓から飛び込んできた。
小さな田舎の駅に汽車が停車する。私に茹で卵をくれた前の座席のおばさんは、よだれを垂らして寝込んでいたのにパッと飛び起き、そそくさと荷物をまとめた。汽車から降りたおばさんと一緒に制服姿の幼い少年の後ろ姿が遠くに消えていった無人駅……。風に揺れるコスモスの花がどこまでも続いていた花壇……。そんな片田舎の駅の風景は、私の汽車の旅に欠かせないものだった。
今や高速鉄道KTXは、そんな小さな駅には見向きもせず無心に通り過ぎていくだろう。いや多くの田舎の駅はすでにその機能を失い、だいぶ前に廃駅となって撤去されてしまった。あるいは廃駅となった駅舎をカフェ、スナック、ミニ博物館に改造して、人々が思い出に浸る観光商品になっているかだ。
真夜中に目を覚ました私は、時に幼い少年の自分をそのうら寂しい無人駅の闇の中に座らせてみる。そして過ぎ去った人生を追憶し、無人駅の待合室に明かりを灯して、小説家グァク・ジェグ(郭在九)の詩集『沙平駅で』を口ずさむ。
「……楓のような数枚の車窓をつけて/ 車はま た何処へ流れていくのか / 懐かしい瞬間に呼び覚まされた私は / 頬をつたう一筋の涙を明かりの中に投げ捨てた」