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Tales of Two Koreas

2021 SUMMER

脱北者たちの韓方医

脱北者初の韓方医師、ソク・ヨンファン(石英煥)院長の「永登浦100年韓医院」は、北朝鮮の伝統鍼術を用いた治療法で知られている。脱北者と中国朝鮮族が彼の北朝鮮式治療の恩恵を受けている。

「 永登浦100年韓医院」の ソㇰ・ヨンファン(石英煥)院長は、脱北から4 年でソウルに韓方医院を開いた。以降20年間、北朝鮮と韓国の韓方医学を融合した方法て患者を治療し、一方で経済的に困難な脱北者の支援もしている。

「永登浦100年韓医院」の雰囲気は他の韓方医院とはちょっと違う。室内の配置は似ているが、患者たちが打たれている鍼が実に太い。細くて長い鍼だけ見てきた人なら怖気づいてしまいそうなほどだ。ここは鍼治療が独特で、北朝鮮の伝統的な鍼術である「テチム(大鍼)」「プルチム(火鍼)」で有名だ。直径0.5㎝ほどの黄金の鍼もある。平壌の高位幹部たちがよく 打っている治療法だという。ソウル文來洞(ムンレドン)にあるこの韓方医院のソク・ヨンファン(55歳)院長は、韓国と北朝鮮両方の韓方医師免許を所持している医師第1号だ。診療室の机の上に並ぶ北朝鮮の医学書『高麗医学』が物語っているようにソク院長の治療は高麗医学、つまり北朝鮮式の韓方療法に基づいている。患者の大部分はソウル市民だが、噂を聞いて尋ねてくる脱北者や中国系朝鮮族も多い。朝鮮族の人々は食事や生活習慣が北朝鮮の人々と似ている部分が多いので、ここの薬と治療法が体質によく合うという。

100年韓方医院が光化門付近にあった当時は、韓国政府の高位官僚などもよく訪れていた。しかし、天井知らずに高騰する賃貸料に耐え切れず、2017年に「光化門100年韓医院」を文來洞に移転し「永登浦100年韓医院」に名前を変えた。院内の広さは以前よりも2倍近く広くなり661㎡(200坪)になった。

もう一つのチャレンジ
ソク院長の故郷は北朝鮮の内陸部に位置する両江道甲山だ。彼は199 8 年10月に現在の妻である恋人と一緒に休戦ラインを越えて韓国にやって来た。その後結婚して、現在は大学でコンピュータ工学を専攻する長男、高校生の次男、中学の長女の3人の子供たちがいる。北朝鮮に残してきた両親と兄弟3人をはじめとする家族の消息はつかめなくなってだいぶ経つ。「煙のように消え去りました。忽然と蒸発してしまったそうです」。彼は言葉少なめににそう語った。

脱北当時、ソク院長は現役の軍医官の身分だった。韓国の大尉クラスにあたる北朝鮮軍88号病院の応急室診療部長の職責を負っていた。金日成総合大学所属の平壌医学大学東医学部を卒業し「高麗医師」の資格をもつ彼は、北朝鮮基礎医学研究所で研究員として働いたこともあった。基礎医学研究所はいわゆる「万寿無窮研究所」と呼ばれている。父が護衛司令部(韓国では大統領府警護室に該当)高級軍官だったのでその恩恵を受けたと言う。

彼が北朝鮮の現実に絶望を感じるようになったのは、1994年金日成主席死亡後に地方の軍部隊病院に出張した際、栄養失調で苦しむ軍人たちを見てからのことだった。さらに、外国での派遣勤務を終えて帰国した同僚の医師たちの話を聞きながら、韓国に行かなくてはという思いが頭から離れなくなった。そんなところに今の妻と出会い、一緒に脱北を決心した。第3国を経由せずに、脱北経路に休戦ラインを選択したのは軍将校の身分を活用するためだった。そうだとしても一人ではなく、恋人と一緒の脱北だったので大きな冒険だった。汽車に乗れば検問を受けなくてはならなかったので、通り過ぎるトラックに乗せてもらうなど、数々の手段を講じて平壌からソウルまで2泊3日かかった。

彼は韓国に定着して3年で韓方医師国家資格試験に合格し医師免許を得た。南北両方で韓方医師の資格を得た最初の医師という記録を持ち立てるのは、簡単なことではなかった。当時、脱北者には医師資格基準がなかった。1999年大韓韓医師学会の専門家たちのテストと意見の収斂過程を経て、教育部と保健福祉部から国家試験の受験資格を得た。教会で出会った教授たちから推薦された大学教材と、韓医師国家試験の受験テキストを買って、近くの図書館で深夜まで勉強を続けた。難しい漢字でいっぱいの韓国の韓医師教材を読むのは大変だった。北朝鮮では基礎漢字程度を習っただけだったからだ。1カ月ほど図書館で玉篇(漢字辞典)を相手に奮闘し、ようやく漢字が少しずつ目に入って来るようになった。韓医師資格を取った後、慶熙大学校韓医大学院で修士の学位を得た。

2002年にようやく「光化門100年韓医院」を開き、新たな人生を歩み出した。その後19年間、彼は経済的に苦しい脱北者の患者からは診療費を受け取らずにいる。「具合が悪いと話しても、北朝鮮とは言葉が違うので病院でよく分かってもらえないことが多いと聞きます。私は通じるので患者さんも心配せずに話を聞いてもらえる、と言ってやってきます。私は彼等よりも先にソウルに来て、彼らと同じ問題をすでに経験していますからね。彼らの気持ちは誰よりもよく分かっているので、知らないふりをすることはできません」。

100年韓医院は脱北者の間では「脱北者病院」で通っている。具合が悪くなってたずねて行けば財布を心配せずに診療を受けることができ、また何か問題を抱えていればソク院長からアドバイスを得られるからだ。「南北の韓方医学の最も大きな違いは鍼療法です。北朝鮮の鍼は非常に大きいものです。それでも打った後はすっきりするので、脱北者が乞い願うものの一つでもありますね」

ソㇰ院長は苦労してソウルに定着し、苦学の末に資格証を取り韓方医院を開業した。その過程で韓国社会から受けた支援に報いるために、無料診療などのボランティアを続けている。2004年から毎週続けているボランティア活動は、新型コロナの感染拡大により、いましばらく休止している。

彼が創立し理事長を務める『ハナサラン協会』は現在、韓国と北朝鮮出身の医師・看護師など医療ボランティア40人余りが参加している。

北朝鮮の韓医学に対するプライド
ソク院長は平壌基礎医学研究所で心臓・血管系研究員として勤務した経験を生かし、金日成・金正日父子が服用したとして知られている柔心丸、太古丸を直接作ったこともある。この二つの薬はそれぞれストレス疾患と老化防止に効能があるという。

彼は高麗医学に対するプライドも高い。「高麗医師は韓方医学と西洋医学を両方勉強します。西洋医学の外科手術の執刀まで習います。北朝鮮では通常、韓方と西洋医学の両方の検査を一緒に行い、診断を下します。診脈と西洋医学の基本検査をすべて行い、その検査結果をもとに診断を下して、治療は主に韓方で行います。私が高麗医学部を卒業した当時、30人の私の学年の中から一人二人ほどが西洋医学の病院で医師として働いています。教育期間は6年6 カ月で、6カ月間は臨床実習です。韓国でいうインターン過程だと言えます」。韓国のように西洋医学と韓方医学を厳格に分離はしていないということだ。

彼はまたもう一つの違いにも注目する。「北朝鮮ではハングルで高麗医学を勉強します。韓国の韓方医学の教材はほとんど漢文でできており難しかったです。北朝鮮では客観式問題を解くこともありません。北朝鮮の試験はすべて主観式で、答案紙を作成した後には言葉で説明しなくてはなりません」。

그しかし、南北の韓方医学は朝鮮時代の医官ホ・ジュン(許浚、1539~1615)が編纂した『東醫寶鑑』(1610)にルーツがあるという点では同じだ。南北が分断されて以降、発展様相が違っていただけだ。北朝鮮は治療医学が発達した。朝鮮末期の韓方医イ・ジェマ(李済馬、1837~1900)の四象医学をもとに体質を分類し治療する。慢性疾患は韓方治療の対象とする。体質を改善することで免疫が形成され、病と闘うことができるからだ。「北朝鮮は韓方薬の処方がよくできていると思います。治療中心の薬の処方が具体的な体質に合わせて配分がうまくいっています。臨床試験を通じて客観化・規格化ができており、効能も比較的良いほうです。また鍼術も優れています。韓国では刺激を少なくするために細くて小さい鍼を使いますが、北朝鮮の鍼は非常に太いものです。太い鍼がもっと痛いように思いますがそうではありません」。

彼はまた「患者の治療に重要なのはまず第一に本人の精神力で、その次はどんな医師からどんな薬と治療法を処方されたかによって違ってきます」と付け加えた。

さらに「南北双方の韓方医学が同じルーツから出てきており、北朝鮮に優秀な薬材が多く南北で協力研究することが望ましいが、現在はあらゆる環境が整っておらず、希望的ではないので残念だ」とソク院長は語った。

北朝鮮の伝統韓方医学書『高麗医学』。その情報が網羅された『生命を生かす北朝鮮の民間療法』

ソク院長は北朝鮮の韓方医学をきちんと伝えるために、数冊もの本を執筆した。金日成主席が普段行っていた自然療法を具体的に紹介した『金日成長寿健康法』もその中の一冊だ。

ボランティアで恩返し
ソク院長は仕事の合間に『生命を生かす北朝鮮の民間療法』(2003)、『登山もし、山参も摘み』(2003)、『金日成の長寿健康法』(2004)、『北朝鮮の医療実態』(2006) など4冊の本も出版した。『金日成の長寿健康法』は日本語にも翻訳され、日本で出版された。今後は遅ればせながら博士号までとる計画だ。

彼が外部の医療奉仕を続けて、もう17年になる。韓方医院を開いて2年目の2004年に、もう一人の脱北者の韓方医師と共に、高齢者を無料診療するボランティアを始めた。「韓国に定着する過程で韓国民の税金をもらい、韓国社会から多くの配慮を受けました。恩返しをするのは当然のことです。それに奉仕活動をしながら私自身にも慰めになります。この上なく気分が良くなるのです」。

「脱北医療人連合会」という名前でスタートしたボランティア組織は、2015年に『社団法人ハナサラン協会』に拡大改編されたが、ソク院長はその間ずっと理事長を務めている。その間にも脱北医療従事者数が増え、主旨に共感する人々も参加したことでボランティアもスポンサーも増えた。韓方医師、理学療法士など医療関係者30人を含めて合計130余人の会員がボランティアに参加している。

どんなことでも1号の重みは特別だ。ソク院長もまた1号の重責を生涯背負い続けなければならないようだ。

キム・ハクスン金学淳、ジャーナリスト、高麗大学校メディア学部招聘教授
ハン・サンム 韓尙武、写真

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